すこぶるどうでも良くて「あっそ」としか言えない豆知識 - 自省log
こちらを読ませていただいて、安定のじわじわ笑い。自省logさんの物事の捉え方は大好きだ。
大好きついでに「私も同じテーマで一筆書かせていただきたい、素敵なシュール記事です。」
というコメントを付けてブックマークしたのだが、そうしたら
「こんなの良ければどーぞどーぞ!」
なんていう涙あふれだしそうなお優しいお返事をいただいてしまったので、心してどうでもいいことを書いてみようと思います。
イマイチお返事の返し方などがよく分からないので、この場にて感謝させていただきます。
自省log様、並びに毎度面白い記事を更新してくださるid:juverk様、感謝であります。
というわけで私が持っている、渾身の「どうでもいい豆知識」いくぜ!!
・私は献血の際、左腕からだと問題ないが右腕からの採血だと軽い貧血状態になる
過去3回ほど献血を行ったことがあるが、初めての献血は左腕からの採血。
無事に終わったので、「こりゃ自分は献血に問題ない」と思ったのだ。後日自宅に血液検査の結果も届くし、無料で健康診断もできるようなものですからね。
味をしめた私は、2回目の献血に行った。
その際に採血に使われたのは、右腕。
終了後、ちょっとフラフラして、なんだか汗がじんわり。こりゃやべえと思ってジュースを飲みまくりましたよ。
おととい3回目の献血に挑んだものの、再び右腕から採血を行われ、再び貧血症状に。こりゃやべえと思ってカフェ特集の雑誌を読みながら温かいお茶をいただきましたよ。
というわけで、なぜか右腕からの献血は私のテンションを急激に下げることが発覚。
次回は大量のレバーを食べて挑んでみようと思う。

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・ 私は股関節がかなり柔らかい
私は先天的に股関節が柔らかい。
足の裏を合わせて身体に近づけ、体を前屈させる股関節のストレッチがあるが、私は両膝が床からほとんど離れないままでオデコを床にくっつけることができる。
全身が特別柔らかいわけでもないのに、股関節効果でハイキックもお手のもの。
ただし実生活で役立った記憶はあんまりない。
・私には赤ワインを飲みすぎて吐き、2年間のリハビリをした過去がある
酒の味を覚えて間もなくのころ、飲み会の席でテンションが高まりデキャンタ2杯分の赤ワインを10分ほどで飲んだらトイレから出られなくなった。
心配してくれた先輩が持ってきてくれた水を飲むもののそのグラスをそのまま落下させて割るという失態を2回繰り返した後、なんとか立ち直った私は一人で帰れますよーと言ってなんとなく歩いていたら、知らない川沿いに到着した。
結局本来なら30分強で帰れるはずのところを、3時間かけて帰宅したという素敵な物語だ。
その後お酒は全然飲めるのだが赤ワインだけはまるで美味しさが分からなくなり、再び普通に飲めるまでに2年間の赤ワインリハビリ生活を過ごした。
今は変なハイテンションにならずに、静かにウイスキーを傾ける大人の飲み方をしている(はず)。

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・私の左ひざの怪我が治ったらやたら皮膚が薄い箇所になった
小学三年生のころ、休み時間にアグレッシブに鬼ごっこにいそしんでいた私だったが、逃げている最中に丁度ひざくらいの高さの段差にひざを真上から叩き込んでしまい、ちょっと深めの傷を負った。
当時から血を見るのが好きだった私は(飢えてはいない)、とりあえず傷口をぺろぺろしてから保健室へ。
結局病院に行くほどの怪我でもなかったので一安心していたのが問題だった。直後から夏休みだったのだ。そう、小学生の夏休みといえばプールなのだ。
特に何も考えずに完治する前にプールに通ってたからなんでしょうねえ、なんか菌でも入ったんでしょうねえ、そのあと治った傷は、ちょっとぷっくりしていてやたら皮膚の薄い部分になってしまった。
ざらざらの壁なんかにちょっと強めにぶつけたらすぐ出血です。私と果し合いをする方は左ひざを狙ってみるのもいいかもしれません。
まとめ
実際書いてみてつくづく再確認できるが、こりゃ確かに他人からすれば
「あっそ」
であるということ。
私が右腕からの献血を恐れていても、私がジャン・クロード・ヴァンダムのような股関節を目指していたとしても、はたまた赤ワインにまつわる悲しい過去があろうがや左ひざの皮膚が薄かろうが、それぞれの人間のそれぞれの人生にはまるで影響がありません(赤ワインの過去は結構なご迷惑をお掛けしたけど)。
人は人のことなんて全然興味がない
結局はこの結論をもう一度なぞる結果になったようだ。
最後に相田みつをさんの詩をひとつご紹介。
どうでも
いいものは
どうでもいいんだよ
いちばん
大事なことに
一番大事な
いのちを
かけてゆくことだ