心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

数値化された関係に真実を見る若者のお話

最近「バカッター」なんて言われて、冷蔵庫に入ったりする若者が騒がしてますね。それについて思ったことをまとまりもなく徒然。
齢24の戯言ですので、ふんわり読んで頂ければ。



自分もかなりディープにTwitterを使っている方で、まあつぶやきも多いしガンガンふぁぼったりリツイートもするんだけど、そういう側からすると「冷蔵庫に入った写真をアップする」ということに対して、多少の理解はあるのだ。もちろんやらないけどね。

というのは、そういう写真をアップすることで注目されて、それこそリツイートやふぁぼが急激に伸びる。「リツイート数」や「お気に入り数」によって、具体的な数字として他者との関係を得ることが出来るってことだ。
普段全然ふぁぼられたりリツイートされることのない自分だって、何気なくつぶやいたことが5RTとかしてると「おおお、マジか」となるわけで。そういう目の前のカタルシスを得ようと必死なのが「バカッター」と揶揄される若い子たちなんじゃないかと。

で、この“具体的な数字”ってのが何を意味するのかというと、今の若い子たちっていうのは、それこそ小さな時からインターネットやSNSに慣れ親しんできたものだから、「浅く広い人間関係」に対しての正しい判断基準みたいなものが希薄になってんじゃないかってこと。

「冷蔵庫に入ってる写真」と、宮崎駿ばりの「この世界は生きるに値する」みたいなすげえ言葉に対して同じRT数が与えられたとして、そのRTが持つ意味っていうのは月とすっぽんなわけだ。
当然前者に向けられたリツイートってのは深い理由もなけりゃ、ただ「わー、面白え」程度にすぎない。
人の心に響いているわけじゃない、思想も何もないモノだ。

そういった、つぶやきに対するRT1つ1つの重さというものを考えるまでした時に、自分は「あー、冷蔵庫に入って手に入る人からの注目なんていらないや」と思うし、そしてそれは動物園で好奇の目で見られている動物と同じじゃん、と気付く。
自分から動物に成り下がってどうすんのって思うのだ。

それでもやる若いのが絶えないのは、やっぱりそういうことまで考えていないし、人間関係のものさしが根本的に壊れているからだろうし、そもそも言い出したら責任感とか事後の予測をしないとか常識がないとか、まあ色々あるけど。

ぶっちゃけ大人たちが教えてこなかったことが結構あって、それが「人間関係の深さ」だとか、そういう部分だと思う。



当たり前なんだけど、人間と人間の関係なんて数値化出来ないのだ。
それを「リツイート数」「お気に入り数」で、擬似的に数値化してしまったこと、そしてそれを鵜呑みにしてしまうことに問題があるんじゃないかと思う。

人間関係は目に見えるものじゃない。
それをちゃんと理解して欲しい……という話。


ていうか、知り合いが冷蔵庫入ってる写真アップしたら引くよね。正直。
あれ全然関係ない他人だからRTとかしてるんじゃね?だって関係ないから。

本当に繋がりたい人には、おそらく繋がってない。
そういうことも考えて頂ければ幸いです。