心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

勝手に継ぎ足して読んじゃう怖さ

こうやってブログ書いて、そして他の方のを読んでいたりすると「ああ、やべえ奴に絡まれてるな〜」と思う状態を見かけることがある。僕も一度だけコメントで変なの飛んできたことあったなあ……。

ざっくり言うと書いたことに対して、読んでくれる人は意見を持っているわけですが、それが激しい否定の場合に発生するような気がする。
書いていることに対して「それは違う」みたいなことを返事してくるまでは問題ない。そりゃあ人それぞれ考え方が違うんだからそういうことはあって当たり前。
……なんだけど、酷い場合別に書いてもいないことに対してまで拡大されてゲロくそ否定して罵倒してくる人がいる。勝手に行間に自分が気に入らない文章を脳内で継ぎ足して、そこに噛み付いてくるっていう。

怒らない練習

怒らない練習

勝手にイライラしてるよね、アレ。なんなんでしょうか、アレ。

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基本的には「批判」って簡単だし、そのくせ相手に対して上からかかっていけるマウント効果があるんで気を抜くとついやりがち。
何故簡単かというとこちらから創造する必要性が少ないからですね。
極端に申せば「在る」に対して「ない」といえば構造として十分で、代わりの何かを提示が絶対に必要なわけではないからです。

……で、ここまではまだ比較的仕方ない範疇。もちろんするならするでちゃんとロジカルにお話できないとダメですが、得てして感情が介入するもので、それが人間というもので……。
問題は歪んだ創造によって補完してぶつかってくるタイプで、それが今回書いている本題。

元々のものがあることに対して、それへの反論として行われる創造だと一応会話として成り立つけど、そもそもないものを創造し、それを否定する意見を創造して思いっきり高速スライダー投げてくるみたいな人はいます。取れないボール。キャッチボールの否定。
twitterとかで1万リツイート以上とかされてるツイートのレスポンス見てると分かりやすいよ。もはや全然関係ない話でブチ切れてる返信付いてたりする。

どんなことに対しても批判的な視点も持っておくことは大事ですけど、そこにちゃんと理性は働いているか、客観的な視点から批判出来ているか、過度に感情が介入していないか、みたいなことは「批判している自分」をアウトサイドから見ながら確認はしないといけないなあと思う。
それでも感情は混じるものだから、やっぱり難しいんですけど。この前書いたオリラジに関してのやつも、多分大いに感情が含まれているはずだし……反省もしつつ。