心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

【FGO】マリスビリーとBBドバイの比較考察etc

はてさて、2部終章。
レイド戦前の部分まで読んだところでこれを書いているんですが、ずっとちょっと泣きそうな感じのまま感動しっぱなしで読んでいました。本当にすごい物語だわ、これ。

今回はストーリーや世界観というよりも、今回明かされたマリスビリーの思想について。

「過程や内面は必要ない。物事は表だけあればいい」

この思想を元に、賢くなりすぎた人類をダウングレードし、さらに感情や人間性という「中身」をカット。カルデアスというシステムによって人類を管理可能なステージで未来永劫コントロール。さらに宇宙を空想樹に格納し、地球の外側から宇宙そのものを無くすことで宇宙からの侵略といった要素すら排除し、結果として人理はずっと保障される(不確定な要素が発生しないので)……みたいな感じがマリスビリーの計画の正体でした。
人類の感情や進化などではなく、人類という種族の構造を愛している人類愛、それがマリスビリー。我々からすると、人類が人類たる部分をこそ愛していないんですが……という感じなんだけど、マリスビリーのこれも紛れもない人類愛ではあります。歪んでいるけどね。

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そんなマリスビリーですが、奏章3「アーキタイプインセプション」のBBドバイがあらゆる面で対比的構造のキャラクターとして描かれています。
もちろん意図的にやったんだろうなと。

本来なかったムーンキャンサーのオーディールコールが差し込まれたのは、終章前にマリスビリーの対比となるBBドバイの物語を読ませることで、終章の深みが増すというような狙いもあったのかもしれません。

人類の外面だけを愛しているマリスビリーに対して、BBドバイは逆に人類の「中身」の方を愛しています。 
努力する、頑張る、それでも間違ったり失敗する。その人類の営みを愛しているBBドバイは、まさにマリスビリーと正反対。
それどころかBBドバイの生きる未来の世界では、人間性を獲得したAIが新人類として定義されています。もはやこれは外側が一般的な「人類」ではないわけですが、それでもその人間性をもって人類と呼ぶのなら、やはりマリスビリーとは真逆で「中身」を愛しているということになりますね。

そしてマリスビリーは自分自身が人類でありながら内面を重要視せず、BBドバイは本人がAIでありながら人類の外側ではなく内面を重要視しました。
この辺りもちょっと皮肉というか……人間ではないAIが、人間の中身を愛するのに人間のマリスビリーの至った結論は真逆という。自分自身が人間だというのに。

この辺から少し拡大して振り返ると、奏章はいずれも人間の「内面」にフォーカスした物語だったことが分かります。
奏章1〜4で丁寧に「中身」の方を描いてきて、ラスボスのマリスビリーが「いや、人類に中身なんて必要ないだろ」で立ち塞がるのは気持ちよく敵になってくれますね。でもマリスビリーはすでに故人なので、マリスビリーが遺した管理システムを叩きましょうというお話。できることならマリスビリーを1発殴りたいんですけどね。

「中身は不要だというのか?」という問いかけに、マリスビリーは「不要なのがいいんだ。誰にとっても無駄がないのだから」とまで言い切る男。
そういった無駄にこそ人類の人類である営みがあるのに、それを否定してくるわけですね。


……んで、そんなマリスビリーが遺した管理システムであるマリス・カルデアスさん。
どうもシナリオ読んでいる限り、結構人間味があるというかところどころポンコツ感を感じるというか、要するにこいつに強い「中身」の存在を感じてしまうんですが、これはマリスビリーの計画通りなんですかね……?