先日スキル強化が入った記念で、ちょこちょこ書いていたけど下書きのまま放置されていた諸葛孔明のお話を放出しようかなと思います。
FGOにおいては「合理主義の怪物」と表現されている諸葛孔明。

じゃあ史実の諸葛孔明という人物が合理主義だったのかというと、個人的にはそんなに合理主義者という感じを受けないんですね。
「合理的」ではあるんだけど、それが諸葛孔明の人間性、つまり「合理主義者」という像とは結びつかない。
たしかに内政や軍事においてはかなり合理的な考え方をしていたとも思いますし、それによって相当な成果を挙げた人物です。
ただしそういったミクロな点では合理主義的ですが、そもそもの「劉備没後の蜀漢を支え続けた」というマクロな部分が根本的に合理的じゃないように、自分には思えるのです。その点においてだけ、つまり根源的な行動原理の部分はすごく感情的な動機によって動いていたような……。
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劉備没後の蜀漢
夷陵の戦いにおいて呉の陸遜に大敗北を喫した蜀。この戦いで国を支える主要な人物達も多く亡くなったと思われます。
その後劉備は没し、劉禅が継ぐことになりますが……ご存知の通り、蜀という国の実権はここから諸葛孔明が握ることになります。
ちょっと余談ですが、よく無能と言われる劉禅。ただ、ここで超絶有能な諸葛孔明に国の舵取りを任せる判断ができた点は悪くないと思ったり。
これが自分の能力のなさを理解した上での判断か、それとも何も考えておらず面倒だったから任せたのかは本人にしか分かりませんが……ともかく、劉備没後に諸葛孔明がいなければ、もっとずっと早い段階で蜀は滅びていたのは間違いないかと。
閑話休題。
個人的には諸葛亮レベルの人間が、劉備が没したタイミングで「蜀という国が天下を取る可能性は限りなくゼロになったし、蜀自体長くない」ということを予想できないわけがないと思うのです。
だからその段階で「劉備亡き蜀を支える」という選択をしたこと自体が、まず合理的ではない……というのが個人的な見解。例えば司馬懿あたりが同じ立場なら、蜀を離れることを考えたんじゃないのかね?くらい思います。
行動の動機は劉備への想い
先に書いたように劉備が没した時の状況を踏まえると、もう蜀が魏・呉を倒して三国時代の勝者になることは“合理的に考えると”まずないと判断できるはず。
劉備が没した時点でできることを、その天才的な頭脳で最大限に引き出し、普通ならそもそも5回もできない北伐を敢行した軍事力・内政力は恐るべき「合理性」によってもたらされたものだと思います。
そうやって蜀漢という国を延命できたのは、間違いなく諸葛孔明の合理的思考の賜物です。
諸葛孔明の合理的知性。
それは亡き劉備への想いのために使われていた……という構造だったような気がします。まあ「劉備いなくなって自分が実権握ったから、思う存分自分の才覚を振るえるぜ!」みたいになってた可能性もなくはないけどね。
北伐を前にして諸葛孔明が書いた『出師表』。
そこには先帝、つまり劉備への感謝やその偉大さが何度も書かれています。
ざっくり意訳すると、北伐する理由として「亡き先帝がそれを望んだから」という文章であり、ここに諸葛孔明自身の考えがほとんど入ってないように見えるんですね。
諸葛孔明という人間は、三顧の礼のお話も残っているように劉備に対して個人レベルで相当の恩義があるはず。
その恩義に報いるために、劉備が目指した漢王朝の復活を行う。それが北伐の目的であり、そして諸葛孔明はそのために自身の合理的思考をフル活用した……というのが個人的な諸葛孔明評です。
その行動原理は劉備への恩返しや、亡き先帝(劉備)の無念を晴らすことにあって、その部分がまず合理的ではない。このあたりが司馬懿と比較してしまうところですね。
もちろん蜀漢という国の存在理由が「蜀の皇帝が唯一正統であり、他の皇帝は倒さなければならない」というものなので、魏を倒さなければならないのは構造上事実でもあるんですが……。
合理的に思考する能力はずば抜けていたけど、合理的な生き方をした人ではなかった。
そういう情熱的な部分も込みで、人気のある人なのかなあと思いますね。