ここまで今年の大河ドラマ『べらぼう』を観てきての、個人的な解釈というか……なんやかんやを一回書いてみようかなと思います。
今年の大河、全体的に「分かりやすさ」を意識しているような作風には見えますね。
キャラクター設定、話の作り方などなど。敢えて悪い言い方をするとワンパターンではあるんだけど、その中でも個別に見ればちゃんと違いを付けることで上手くまとまっているなあという印象。
ともすると大河ドラマとして軽すぎるように映りそうですが、そこは吉原で生きる人間たち側の過酷な現実パートや田沼意次の幕府パートのヘヴィさでバランスを取っており……という感じで、個人的には大河ドラマを初めて観るような人にもおすすめできる構造だと思っています。
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キャラクター設定
まずはキャラクター設定から。
これからどうなるか分かりませんが、現状「清濁合わせ呑む」みたいな複雑なキャラクターはいないように思います。
例えば『光る君へ』であれば、藤原道長は理想の国家運営のためにダーティなこともする人間でした。『鎌倉殿の13人』はそんな感じの人満載だったような気もする。それこそ頼朝が武士にとっての光でありながら、同時に自分に比肩しうる力を持ちかねない武士を葬る闇の部分も抱えていましたし。
もちろんそういう姿こそ「人間」らしいし、そういう葛藤の中で本人が悩んだりする姿が物語にも深みを与えるわけですが……今作に関しては、まだまだ序盤であるとはいえそういう人は少ないかな?という具合。
善の人間はちゃんと善だし、悪の人間はちゃんと悪ですね。
主人公の蔦重はダーティな手は使わず、真っ当に自分の努力で作品を完成させる。
前回の西村屋みたいに、敵役になる人はダーティな搦手を用いて、蔦重が失敗するのを目論む。
『鎌倉殿』の最終回、ラストシーンにおける北条政子なんかは対極にあり、1年間しっかり観た上であのラスト。政子の心情なんてものは言語化するのが難しいほどに複雑なものとして描かれていたと思います。
そういう重厚さは確かに見応えがありますが、一方で大河ドラマの敷居を高くしてしまっていたような気がしなくもありません。
今回のように味方は味方、敵は敵としてシンプルに設定されていると、観ている側の理解も早いというメリットはあるかと。
1話完結型の分かりやすい構造
『べらぼう』のもう一つの特徴として、基本的に1話完結型の展開が挙げられます。
ここまでのところの基本フォーマットは「蔦重が新しい作品の出版をしようとするがアイデアに悩む→色んな人に聞いて回ったりする中で閃く→完成させる→ラストに次回作ろうとする作品に繋がる前振り」で統一されているイメージ。
ここに田沼意次の幕府パートや、あるいは蔦重の邪魔をしようとする版元達の動きが挟まったりすることでメリハリを付けているというところでしょうか。
第5回であれば唐丸の話とか、他の軸の話も絡めながら1話完結でありながら話に層を重ねている工夫があると思います。
この1話完結の連続システム、自分が早々に視聴を断念した『どうする家康』も同じだったんですが(家康の方は2〜3話で1セットみたいな感じだった)……なぜ『べらぼう』は問題なく観ていられるかというと、1話完結ではあるけどちゃんと全体の連続性はあるからですね。
「『吉原細見』は見事に完成させたけど、吉原の客は増えない→じゃあ次は『一目千本』だ!」というように、それぞれ1話だけ観てもある程度ストーリーは分かるように作られつつも、ちゃんとラストで次回予告的に次に繋がるフックもある。
あと当然なんですが、登場人物のキャラクターにはちゃんと一貫した連続性があること。この辺『家康』の方がかなりひどく、前話で両親とか丸ごと命を奪われた瀬名様が次の話では楽しそうに暮らしてるとかで意味分からなくなりましたから、僕は。
「単発で観てもストーリーが分かるし、その上で連続して観るともっと面白い」というのが『べらぼう』かなと。
蔦重は地味に周囲から知見を得て成長し続けているのは描かれていると思いますし。平賀源内、鱗形屋、長谷川平蔵……割と関わった人全てから何かしら吸収するシーンは与えられていて、ちゃんと蔦重の成長物語として連続的楽しさもありますよね。
バトル漫画的構造と半沢直樹的カタルシス
連続したストーリーとしての構造についていうと、ドラゴンボール的な面白さがあるように思います。というか前回のお話が割とそういう構造だったというか。
これまでの蔦重の「敵」は主に吉原の親父衆、チーム忘八とでも言いましょうか。彼らでした。
前回の話はそこから進展して、蔦重の敵は版元の組合に変わります。そしてそんなチーム版元は、吉原をただの金蔓としてしか見ておらず……というところで、これまで敵だったチーム忘八、蔦重の仲間になりつつあるんですよね。
前シーズンの敵だったキャラクターが、新章突入で現れた新たな敵が登場するに当たって仲間になる。ピッコロとかベジータなんですよね。
こういう少年漫画的展開が今後も続いていくのかは分からないですけどね。松平定信の幕政下で強めのお咎め喰らうはずで、その時にこれまで戦って仲間になった人達がアシストに入ってきたら激アツ展開。
あとは半沢直樹的なカタルシス。
これは前回は分かりやすくて、西村屋が作った『吉原細見』をあらゆる面で上回るものを持っていって圧倒するクライマックスは、本当に気持ちの良いものでした。
自分を邪魔をしてくるのは社会的・権力的に圧倒的に上の人達。そこを卑怯な手を使わず、真っ当に戦って完全勝利する……というのが前回のお話でした。
「やられたらやり返す」をきっちり自分の作る出版物でやっていくストーリーは気持ちいいですね。
