「卵が先かニワトリが先か」は永遠の謎だった……と思いきや、ジュネーブ大学の研究チームによって「卵が先だった可能性が高い」という論文が提出されたとか。
以下Gigazineさんから引用。
古来から哲学的な問いとして、原因と結果が循環してしまうような状況を「卵が先かニワトリが先か」と呼ばれています。もちろんこれはあくまでも例えなのですが、生物学の世界では実際にどっちが先なのかについて昔から議論が重ねられています。そんな中、ジュネーブ大学の研究チームが「卵が先である可能性が高い」と主張する論文を発表しました。
引用した箇所で書かれている通り、卵とニワトリの問題はパラドックスというか、答えの出ない問いの例えのように扱われていた部分もあると思います。
一方で生物学の分野では、この問題をあくまでも生物学的に研究し続けているいたということですね。
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正直上にリンクを貼った記事を読んでも、なかなか難しくて理解できない部分も多いですが……10億年以上前と単細胞生物が「卵を作る遺伝的システムを持っていた」ということになる……のかな?
単細胞生物が多細胞化するというのは、たしかに卵のシステムではある気がしますが……この辺はある程度知識がないと、しっかり理解するのは難しいですね。
キリスト教圏では「すべての生命は神が作ったので、ニワトリが先」だと思われていたそうです。ちょっとこの理論もよく分からないんですけどね。卵は生命ではないのか……。
そこにダーウィンの進化論が登場。つまり「ニワトリには、ニワトリではない祖先が存在する」ので、進化論が登場してからは卵が先では?ということにもなっていたようです。
キリスト教徒ではない自分からすると、この二つを並べると進化論準拠の「卵が先」説の方がしっくりくる部分はあります。
生物の進化に関しては他にも面白いところは多くありますね。
例えばキリン。化石を調べても、今のキリンのように首が長くなっていく途中の進化過程の化石が出てこないというお話。要するに「ちょっとだけ首が長めの、今のキリンになっていく途中の生物」の痕跡が見当たらない。
このことからキリンの先祖の中で、突然変異的に突然首の長い個体が出現。生存競争の中でそんな突然変異個体のみが生き残る形で種の取捨選択が繰り返された結果、キリンは首の長い個体のみになっていき、現在に至る……的な。
この辺色々調べたり読んだりしていると、やはりダーウィンが提唱した進化論の影響の強さがよく分かります。
コペルニクスやガリレオ・ガリレイの地動説もそうですが、キリスト教的な「神が世界を作った」というのが当然とされる世界の中で自分の新説を唱えるのは、言ってみれば神への叛逆でもあります。
ガリレオなんかは文字通り命懸けでそれを発表したわけですし。もし彼らが現代に生きていれば、当時の社会的・宗教的しがらみに縛られずにもっと革新的な発表をガンガンしていたのかなあなどと思ったりします。