今回のタイトル、もしかして『源氏物語』という作品のことを指していたりしますか……?
予告を見た限り、今回はいよいよ清少納言がやってきての文学バトルみたいなことが発生する予感。
そうなった時に一条天皇と定子の「光」だけを綴った自分の作品『枕草子』と比較した時、赤裸々にネガティヴな部分も描いている『源氏物語』は清少納言の目からは「闇」に映るでしょう。
しかもそれが、よりによって一条天皇の心を掴んでいる。それは清少納言の立場からすれば、まさに「まぶしき闇」と形容するのに相応しいのではないでしょうか。
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つらつらと清少納言なりの『源氏物語』評が続きますが。果たしてこれ、筆者である藤式部としてはどうどういう感じなんだろうか。
清少納言は「亡き定子様の輝きを、失きものとするために」書かれたと思い『源氏物語』を恨んでいました。
やっぱり予想通りでしたね。とはいえ今年の大河の清少納言、あまりにも定子という人間に縛られているといいますか……。
こうなると今も生きている、一条天皇とかが逆説的に蔑ろにしているような気もするんですけどね。ここまでくると定子とは一種の呪いですらある。
案の定というか、敦成親王が呪詛されていました。
当然のように犯人は伊周の手の者ですね。関わっていないらしいけど、そんなもん誰が信じるんだよそんな話。
なんかこの辺ややこしいですね。
彰子様は純粋に敦康親王が次の帝で良いという気持ちだし、何よりそんな敦康は彰子にとっての光だった。
でも時代は、というか周囲の人間はそれを許さないというか。道長は敦成親王が次の帝になることを狙っていますから。
藤壺の上司、結構ゴリっと心の深層を見切っていて強者ですね。
藤壺に仕えるのは「生きるため」。
夫婦でも親子でも、本当の意味で「分かりあうこと」は悲しいけれどできないんじゃないか……と。
ちょっとしたシーンではあるけど、ここすげえ好きなシーンでしたね。血が繋がっていても、基本的に自分以外は他人なのだから100%の理解は不可能だからな。自分で自分のことすら理解できないのに。
伊周くん……呪詛に入り込みすぎてもう心が壊れてしまったよ。
隆家の哀しみも含んだ目が本当に切ないですね。直前の「分かりあうこと」の話が効いてくる。
「藤原家の繁栄のため」ではなく「揺るぎなき力を持って、民のための政を行うこと」。
そのために自分たちを信頼してくれる、敦成親王が次の帝になることが必要である……というのが道長理論。
正直詭弁な感じがありますね。地味に朝廷の人事でも伊周のパワー削いでいるように見えるし……。
為時父ちゃんに官職を与えるのも、道長的にはパワーバランスの調整の一環でしょうし。
すげえ怖いことになってきたなあ……。ここにきて「賢子が道長の子供であること」がヒヤヒヤさせるシーンがどんどん仕込まれる。
藤式部のスカウトで、和泉式部が藤壺入り。
今年は文章を書くことが自分自身を救うものである、というのが一貫して描かれているように思います。
和泉式部の奔放な明るさは、確かに人気者になりそう。でもそんな和泉式部も、藤式部が「思い出を書いてみたら?」というアドバイスがなければ立ち直っていなかったかも……というのが。光の影には、誰にも見えない闇もあると。
なんだか急展開。
道長は速攻で敦康親王の元服の日取りを決めさせ、一方で彰子様は第二子の妊娠。
やっぱりあれですかね、道長としては彰子様と敦康親王の仲がいいのがむしろネックになるから、元服させて距離を取る作戦だったのでしょうか。
しかし彰子様妊娠が重なったことで、一条天皇は敦康の元服を延期させた。
さらに藤壺でボヤが発生し、一時的に敦康親王が伊周邸へ。なかなか面白くなってきました。
もうボロボロの伊周、一応「一条天皇は敦康親王が次の天皇になることを望んでいる」というのは正しいんでしょうけどね。
ついに直接道長に会って呪詛しようとするという。前も書いたけど、ここで「全てお前のせいだ」に帰結するのが伊周の限界な気はします。
言ってしまえば伊周もまた「まぶしき闇」かもしれませんね。安倍晴明が言っていた「光が強いほど闇も強くなる」みたいな話、道長という光が強くなるほどに伊周という闇もまた強くなり、ついに今回のレベルに達してしまったというか。
次回「とだえぬ絆」。
なんか……色んな人の命の灯火が消えそうな気配。
あとこれ、藤式部の弟も亡くなってしまうのか……?