心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

【サイゼリヤ】カルボナーラのモヤっと感

カルボナーラとはなにか(哲学)

先月末、仕事終わりに久しぶりにバーへ行ってきたんですが……その前の腹ごしらえとして、サイゼリヤで夕食を。
注文したのはカルボナーラ。そういやサイゼリヤカルボナーラ食べたことない気がしたのでね。
そうしてしばらく待って、到着したカルボナーラに違和感があったのです……。

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サイゼリヤカルボナーラ
バターの風味を感じるホワイトソースが絡んだパスタに、具材はパンチェッタ。そこにたっぷりの粉チーズと黒胡椒、そして半熟卵が乗っかっているという佇まい。
卵を崩して混ぜながら食べましょうっていう具合ですね。

……で、ですよ。
これを食べながら思ったわけです。「これはカルボナーラなのか?」と。
本来ならチーズ・卵はソースとして一体化して絡んでいるもので、それらが別になっているのでどうしても一体感は低め。よーく混ぜればなんとなくソースっぽくなってきますが、それでも前もってソースとして絡めているものほどにはなりません。
感覚的には「カルボナーラ」というより「カチョエペペ温玉のせ」だったのです。

カチョエペペは、チーズと黒胡椒だけのパスタ。
カルボナーラのように溶かしたチーズを絡ませるタイプもありますが、自分がYouTubeで観たものはシンプルに茹で上げたパスタに、たっぷりの粉チーズと黒胡椒をかけたタイプのもの。
今回サイゼリヤで食べたカルボナーラに、構造としてはとても似ています。似ていますというか、卵が乗ってるかどうかの違いくらいでしょうか。だからこそ「カチョエペペ温玉のせ」という言葉が頭に浮かんできたというお話。

誤解しないで欲しいのは、別に美味しくないってわけではないこと。
「カチョエペペ温玉のせ」として考えたら、普通に美味い。混ぜながら食べ進めると少しずつカルボナーラっぽくはなっていくので、一皿の料理を食べる中で変化を楽しめるのもグッドです。

まあここまで書いてきて思ったけど、正確にはカチョエペペでもないんだろうなあとは。カチョエペペにはホワイトソース使いませんし、以前サイゼリヤさんがちゃんと「カチョエペペ」をメニューに載せていたこともありますし、そもそも自分なんかよりずっとイタリアンに詳しい人たちがメニュー構成しているのだから分かっているはず。
そもそもサイゼリヤの調理システムや営業オペレーションの効率まで考えた結果が今のメニューでしょうからね。

カルボナーラ」とだけ書かれて、注文してこれが提供されると少しムムッとなった話でした。
これが「自分で作るカルボナーラ」みたいな感じで「熱いうちに卵とチーズをよく混ぜてお召し上がりください」みたいなことを書いてあればまた印象は変わったのかな……などと思います。