今回は読書カテゴリーも付与しまして、FGOのストーリーのお話。
FGOのストーリーを読む際に、プレイヤーの皆さんはどのような視点から読んでいるのかなと思いまして。
「主人公=プレイヤー自身」で読んでいるのが一人称。
「主人公=自分ではない人物」として読んでいるのが三人称。
自分は三人称視点です。プレイヤー名は自分のアカウント名になりますが、実際には一般的に広く浸透している主人公の名前である「藤丸立香」の物語として読んでいます。
スポンサーリンク
イド作中の視点
個人的には微妙な内容だった、オーディール・コール奏章2「不可逆廃棄孔 イド」。
それはアヴェンジャーというクラスとの関係性の帰結とか、そもそも世界を白紙化から取り戻すために復讐心があってはいけない的な展開とか、個人的に納得がいっていないというのもあるんですが……。
一方で読みにくい文章というのもありました。
これに関してはイドクリア後の感想でも触れたんですが、そんな文章の読みにくさの他に「主人公の視点が一人称だった」というのがありそうだなあと思ったんですね。
主人公の内面世界のお話でもあったので仕方ないとは思うんですが、地の文においても「わたし」が出てきちゃうんですよね。はじめに書いたように、基本的に三人称視点からストーリーを読んできた自分からすると途端に読みにくいというか、逆に感情移入しにくくなるんですな。
2部6章「アヴァロン・ル・フェ」などを思い返すと、体感としてはあのあたりで文章的にも明確に「プレイヤー=主人公」の図式ではない構造が可視化された印象があるんですよ。それまでも暗黙の了解的にそうだったと思うんですが。まああくまでも自分の捉え方ですけどね。
我々プレイヤーはゲームとして主人公を操作しているけど、物語としては「藤丸立香」という人間の物語を外から見ているような構造。
他のゲームでいうとメタルギアソリッドとか、そういう形ですよね。開始時に主人公をキャラメイクして始めるのではなくて、操作はしているけどソリッド・スネークという第三者の物語を見ている感覚。
それが「イド」においては「わたし」の物語として文脈が書かれるので、途端に物語にも入り込みにくくなってしまいました。
章ごとにライターさんも変わるのでこのようなことが起きるのかなあと。作品全体としては、基本的に視点は統一しているのが読みやすいと思うんですが……。
まあ「イド」に関してはそれが「わたし/あなた」みたいな文章で、終盤の伏線にもなっていたから難しいところなんですけど。というか、そこまで考えるとそもそも一人称なのか、三人称なのか、それすらごちゃごちゃだったから「イド」は読みにくかった感じもあります。「わたし/あなたは〇〇する」みたいな文章、一人称だか二人称だかも読んでいる最中はわからないわけですし。それに意味があったと分かるのは物語の最終盤ですし。
読み手である自分の読解力が低いから楽しめなかったんだと言われりゃ何も言い返せないんですが、うーん。
もちろん文章的に、イド以外のストーリー内で「藤丸は◯◯した」のような表現は出てきません。
それでも文章を読んでいる限りは「主人公=プレイヤー自身」という文脈では書かれていないというのが自分の認識で、ずっとそのつもりで読んできたこともあり「イド」において一人称視点で話が始まったのが肌に合わなかった感じはありますね。
FGOプレイヤーの他の皆さんはどうなんでしょうか。
ストーリーを読む際、どの視点から物語を楽しんでいるんでしょうかね。