心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

いつでも想い出を撮れる時代

iPhoneでちょいちょい姪っ子の写真や動画が送られてきたり、夕食はテレビ電話でリアルタイムで姪っ子とお話をしながら食べたりできる時代。

それが当たり前になっていた中でふと思ったんだけど、そういや自分の小さい頃の写真とか圧倒的に少ないなっていう。
両親は結構写真で残してくれていて数十枚は一応あると思うんですが、現在iPhoneなどの中にデータとして残る姪っ子の写真や動画って圧倒的にそれより多いし、何よりそうやって撮影するのが簡単になっています。
本当にいつでも簡単に、そうやって想い出を撮って残せる時代になったんだなあって。

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スマホの普及で、実に簡単に写真・動画を残せる時代になりました。
姪の母(つまり自分の妹ですね)は、運動会とか七五三とか、スマホでどんどん撮影していますね。そうやって撮影されたものはあっという間に自分にも送られてきて、すぐに見ることができる。

それどころかはじめに書いたように、夕食は姪っ子と電話を繋いで一緒に食べたりしていますから。
「久しぶりに見たら大きくなったなあ」みたいな感慨はなくなりましたが、日々少しずつ話す言葉が豊かになっていったりするのを感じていたりします。


テクノロジーの発展速度がエグすぎる。
自分が高校生の頃なんかは小さな折り畳みできる携帯電話の時代でしたから。10年ちょっとでこんなレベルに発展していると思うと、もはや怖い部分すらあります。

でもこうやって、日々のちょっとしたことも写真・動画で残せるようになったのはいいことなのかなって。
自分なんかは、親から「小さい時に◯◯に連れていったんだけど覚えてない?」と言われても全く記憶になかったりしますから。写真とかも残っていない場合、それでおしまいです。
そうやって記憶に残っていないことでも、今の時代なら気軽に写真に残せる。大きくなってから「覚えてないかもしれないけど、小さい時に◯◯に連れていったんだよ」と言って写真を見せてあげられるっていうのもいいよなあって思うんですよね。