心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

【鎌倉殿の13人】頼朝亡き後の歴史を整理してみます

今週は選挙のために大河ドラマがお休み。
金曜日に安倍晋三氏が亡くなられたことについて、一度はいろいろ書いたんだけど、感情が揺れ過ぎていて理性でコントロールできそうにないのでやめました。思うことや考えることは大変たくさんありすぎるほどある、とだけ書いておきます。そういうことを踏まえた上で、ブログとしては書かないことにします。今はただご冥福をお祈りいたします。

さて、本題。頼朝が世を去り、次回から真の意味で「鎌倉殿の13人」が始まるタイミングなので、ここからの鎌倉幕府をちょっと調べてみました。調べたって言ってもWikipediaとかネット情報がほとんどなので、薄いんですけどね。

とはいえそのざっくり調べた内容ですら相当ドロドロしてるんですよね、鎌倉幕府初期って。
上総広常が消される回とかでも「うわあ……」と思っていた皆様、少なくともそれと同等レベルのイベントとして三谷幸喜が演出してきそうな事件は山積みだぜ!

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梶原景時の変(1200年)

頼朝が亡くなったのが1199年のこと。もうその翌年からこれだよ。
「鎌倉殿の13人」のメンバーの一人としてカウントされているんですが、そんな梶原景時は速攻で政界から排除されることになる。

ドラマ内でもなんとなくそんな気配は出ているけど、その役職などから他の御家人からはあまりよく思われてはいなかった模様。そんなわけで景時を糾弾する66名にも及ぶ人数の連判状が提出されて終了。
ドラマではなんだか2代将軍・頼家の腹心みたいに動いている演出もあったし、その辺はドラマ内での伏線になっていそう。

比企能員の変(1203年)

北条とはずっとエグい勢力争いを続けている比企さんもここで粛清されるよ。
頼家が将軍になってからは、将軍家外戚である比企一族が力を持ち始めます。これに危機感を感じたのは当然北条氏。
ドラマで言われていた通り、頼家を将軍にしたことで北条氏の力が弱まるわけですな。
ここは多分ドラマ的にも相当ぐちゃぐちゃに描かれるんじゃないかと思う。北条も比企も互いに潰し合おうとして凄いことになりそう。

畠山重忠の乱(1205年)

ここにきて梶原景時の変・比企能員の変いずれも北条方についていた畠山重忠も消される。そもそも時政の娘婿なんだけど、その時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ始末されるらしい。というか、ここで宮沢りえ演じるりくが暗躍するみたいですね。うーん、いわゆる悪女?

この事件では時政・義時親子の仲も相当悪化するようで、父親と決別した義時が時政を鎌倉から追放するエピソードも入りそうです。

和田合戦(1213年)

どんどん消される有力者。次は和田義盛
この頃には執権と呼ばれるようになっていた義時。どうもざっくりWikipedia読んだ限りでは「義時が和田義盛に手を出させた」感も少しあって、始まりは13人の合議制だった鎌倉幕府も、この頃になると義時が自分に権力を集中させようとしていた可能性も少し感じる。
事実和田合戦の後には義時は侍所別当に就任しており、政所別当と並んで政治・軍事の両面で力を握ることになる。

源実朝暗殺(1219年)

すげえのが時の鎌倉幕府将軍が暗殺されたのに、この事件には歴史的な名前が付いてないんですよね。なぜなんだろう。
黒幕とされる人物や勢力が多数ある本能寺の変みたいな事件で、それこそ義時が指示した説、その北条の力の増大に対抗しようとした三浦義村説、鎌倉幕府を転覆させようとした後鳥羽上皇説などなど。
ここも三谷幸喜がどう調理してくるのか楽しみな歴史事件です。

承久の乱(1221年)

そして北条政子の演説でも有名な承久の乱です。
この乱は構造的にとても重要だと思っていて、幕府に対して朝廷が挙兵し、挙げ句朝廷が武家に大敗北を喫した挙句に上皇流罪
この事件の結果パワーバランスが明確に「幕府>朝廷」という構造で確定することになるのは、日本史上かなり大事なことだと思っています。次の天皇決めるのにも幕府にお伺いを立てるくらいになっちゃう。
そしてこの承久の乱の戦後処理として、西国の公家・武家の所領を没収し、それらを幕府の御家人に与えることで真の意味で鎌倉幕府の全日本統治へと至るわけですね……。


北条義時承久の乱から3年後、1224年に世を去ります。
兄の遺言である「坂東武者の世」の完成を承久の乱後の日本とするなら、内乱含め血みどろになりながら、最後には朝廷をも超える力を手に入れた義時はそれを成し遂げたってことになるんでしょう。

ドラマのタイトルは「鎌倉殿の13人」だけど、13人体制になってからすぐに一人ずつ減っていくんだよなあ。しかも大体は北条氏の陰謀で。