心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

ヴィーガンは強制するものではないでしょ

だいぶ前だけど、Twitterで「ヴィーガン給食」なるネットニュースの記事を見かけたので、それについて今更ながら思うことを書いてみる。
以下、朝日新聞GLOBEから引用。

肉や魚、卵など動物性食品を一切とらない「ヴィーガン」が注目されるなか、東京都内のある小学校では「ヴィーガン給食」の提供が始まった。2カ月に1回の定期的なペースでの実施は公立校で初めてだ。みんなで同じものを食べられるこの給食の時間は、他の人が食べるものを尊重し、食べるものを自ら選ぶ大切さを知る、豊かな学びの場になっている。(目黒隆行)

「ヴィーガン給食」採り入れた公立小学校 みんなで食べられ、みんながおいしい:朝日新聞GLOBE+

「豊かな学びの場」ねぇ……。

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Twitterで見た中でいい意見があって「ヴィーガンは権利」というもの。あくまでも「権利」。
その通りで、自分の意思でヴィーガンという食生活を選択するのは良いんだけど、これは他者から押しつけられるものではないと思うんですね。上の給食では2ヶ月に1回だそうだけど、個人的にはそれすらどうかと思っている(アレルギー等で肉食ができない……などというパターンは除くよ)。

逆に肉・魚・卵などを「食べない」っていう教育の方が危ないと思うんですけどもね。雑に言うがいろんなもの食って、その実体験も通して人は学ぶ。食べてみないと分からんし、普段の給食の中で「自分は肉が食べられないんだよね」という子がいたら、そいつとおかずを交換してあげたりとかさ、そういう友達同士の交流もまた学びなわけで。

本来の意味でのヴィーガンとは動物の生命を奪うことを否定する、食生活という狭い範囲を超えた哲学に近い思想。衣類のために毛皮を剥ぐのもNGなんですよ。なんか以前書いた気もするけど、これはある種の宗教だと思ってる。んで、宗教は人に押し付けちゃいかんよね……。
そして別側面として、そんな本来のヴィーガン思想を「食事」だけで切り取るのもどうかと思う。


なんかヴィーガンとかSDGsとか。
どれも言っていることは良いことなんだけど、これ
続けると環境は良くなるかもしれんけど、裏で畜産業者とか包装業者とか失業するんだよね。そういうところまで考え及んだ上で話をしている人、どのくらいいるんだろうね?
あとめちゃくちゃ感覚的な話で申し訳ないんだけど胡散臭いんだよなあ、この界隈で声あげてる人。グレタさんとか。
いいこと言ってるんだけど、その具体的な中身について踏み込むと大して知らないとか問題解決の方法は自分で考えないとか。

SDGsなんかに関してはちゃんとした研究者や学者の話は学びにつながるし生産性があるので聞きますが、一方でやたら声高にそれらを叫ぶような人は中身がスカスカなことが多い。
ヴィーガンから少し話逸れましたけど、ヴィーガンもまたSDGsとリンクしている部分ありますしね。


「環境」だけ考えて、社会とか文化とかを考えないのはそれはそれで問題あるんじゃないの?と思いながら、やや否定的に冷めた目でこういう界隈の動きを眺めています。