心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

【書評】人新世の資本論

先日読み終えた『人新世の資本論』です。

現代における環境問題を本当に解決するには持続可能な開発目標ではダメで、資本主義を捨て、晩年のマルクスが考えた「脱成長コミュニズム」が必要だ!的な一冊。
タイトルに「資本論」と付いてますが、筆者はマルクスが『資本論』を書いて以降の、変化した晩年のマルクスの考え方に沿って論理を組み立てているので「これ資本論?」とは思いました。
でも結局中身は過去の社会主義共産主義国家が唱えてきたことと大きく変わらない気がするんだよな、この本。そもそも「コミュニズム」が「共産主義」の英語読みだし。

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書いてることは綺麗なんだけど、そう上手くいく気が全くしない

資本主義によって作られた今の世界と、それがもたらした環境問題。
これらに対しての指摘には頷く部分も多かったんだけど、後半部のマルクスの考えを踏まえつつのそれら解決方法のパートが粗い。

そして……ここが個人的に一番問題かなあと思うんですが、この本と日本共産党の綱領を読み合わせると、妙に似ている点多いといいますか。市民議会の実例を挙げつつ論じているパートもあったりしますが、これはある意味では政府のような一種の権力の否定とも読める。
とりあえずそういう観点で読んでみると、これ本当に新しい考え方の提示してんの?っていう。結局旧来のマルクス主義に立脚した社会主義共産主義と同じなのではという感が拭えなくなってきている。この本で提示しているのは本当に新しい考え方なのだろうか?

「脱成長コミュニズム」を語りたいがためのマルクス

読み終わってまず思ったのが、マルクスを改めて見直していった結果導き出されるのが「脱成長コミュニズム」というモデルなのではなく、まず「脱成長コミュニズム」があって、それの正しさを説明したいがためにマルクス持ち出している感触なんですよ。
筆者が「脱成長コミュニズム」を発信したいから、そのためにマルクスを出してきている感覚。

筆者の言う通りのことを実現しようとしたら、とりあえず現在の地球人口減らすしかないと思うんですよね。というか実際やったら人口減るだろう。でもそういうことは書いてないんだよなあ。
世界から全体の仕事量が減っていくので、脱成長コミュニズムへと向かう流れの中で失業者は激増すると思われる。今は飽和している食料だって、仕事として減っていけば生産される食料の全体量は減り(作る人減りますから)、結果人口自体減り出したりの可能性もゼロじゃない。
そこで筆者が提示しているのがエッセンシャル・ワーク。介護福祉士などの、AI化やオートメーション化ができない仕事を重視する社会に転換する……って書いているんだけど、根本的な話としてこういった仕事は人を相当選ぶってことが抜け落ちていると思うんですが。人と人のコミュニケーションが強く発生する仕事って、その分ストレスや負荷も大きいということを理解しているんでしょうかね?書いている通りにエッセンシャル・ワークに比重が移行した場合、そういった仕事に適性ない人は社会から居場所がなくなるのではないか、と。

やはり日本共産党の考え方にどことなく似ている。「労働時間減らしつつ賃金は上げて、自由時間も増えるし金銭的にも豊かになってハッピー」って話なんだけど……そんな上手い話あるわけないだろう。
現在の資本主義では、筆者が書いているように貧しい国からの搾取によって豊かな国が成長している。そのやり方は国規模の格差だけでなく自然も壊れてしまうから成長から脱却して……と。
まあ表面的には綺麗ではあるんだが、これ中間に当たる豊かな国に生きる人の中で力の弱い人がピンポイントで撃ち抜かれてないかね?貧しい国家に暮らす本当に貧しい人々を助けるのはもちろん理想なんだけど、代わりに中間層見捨ててもいいのかっていう。

他にも電力や水などの、現代人が生きるのに必要なインフラは市民の手によって管理されるべきと書いていたりもするんだけど、それらは簡単に市民に管理できるものなのか?というシンプルな疑問はある。
専門的知識必要ですよね?設備の管理には莫大な金銭も必要ですよね?そして何があっても止まってはいけないのがインフラですよね?
だからこそ基本的には政府が管理していて(水道の民営化とかいう恐ろしい話も出てきてはいるけど)、例えば「市民団体が管理している発電所ぶっ壊れて発電出来なくなりました」みたいな時どうするんだろう……と思った。

資本主義はベストではないけれど

それこそ自分は典型的な「豊かな国に暮らす貧しい人」のカテゴリーに入ると思う。自分で選んでいるとはいえ年収とか相当低いですからね(代わりに自由な時間の多さや仕事における責任のなさを選択しているわけだが)。
資本主義が貧しい人を生み出してしまうのは事実だけど、自分のようにそれを選択できるという側面もあるんじゃないですかね。もちろん今の生活サイクルのままもっと収入増えたら嬉しいけれど、それ現実的じゃないのは分かっていて……それしようとしてるのがこの本だったり共産党だったりすると思う。

資本主義は一部の人や階級に富が集中するから不平等なんや!はいわゆるマルクス主義
でもそれを是正しようとして、国が企業を管理して生産までコントロールしようとした結果大失敗したソビエト連邦って国が現実に存在したわけで。
正直資本主義の限界点は近付いていて、これが正しいとは全く思わずに資本主義社会を生きているわけですが、社会主義共産主義よりは確実にベターな選択肢ではあることを歴史は既に証明していると思う。資本主義の場合、少なくとも社会主義共産主義で起こるような自国民への粛清とか基本起きませんしね。スターリンがなにやったか、ポルポトがなにやったか、かつての日本共産党がなにやったか思い出そう。
従来のコミュニズムとは一線を画す、革新的なものが「脱成長コミュニズム」ならいいけど、自分が読む限りではそんなものでもなく、いわゆる社会主義共産主義の延長線上にある考え方にしか見えなかった。

要するに、本書でやりたかったことはマルクス主義の新解釈で導かれる「脱成長コミュニズム」という新しい主義なんだろうけど、まずこの「脱成長コミュニズム」という言葉自体がいわゆる共産主義と対して変わらないような気がしてしまったわけです。
歴史が社会主義共産主義では経済が発展しないことは既に証明していて、それをポジティヴに認めた上で共産主義のことを書こうとしたら脱成長共産主義、つまり「脱成長コミュニズム」です。


読んで、むしろこの考え方の実現可能性低いな……と思ってしまったりして。
基本「そうなったらいいよね」であって、そうするための具体的な方法が甘いといいますか。電力や水力のインフラの市民管理化がいいのは分かるけど、それで現在の人類が問題なく暮らせる程度の市民管理のクオリティはどうやって実現するの?とか思うとそこは書いていない。
最後に書かれていることも「3.5%の人が非暴力的な方法で立ち上がると社会が変わるから、この本を読んだ人がその3.5%になろうぜ!」という、まあ精神的な話で終了している。

なんというか理想論に終始していて、現実味が全然ないという感想でした。
できたらいいね(そんなもんできないけどね)って感じで。最終ゴールが脱成長コミュニズムだというのなら、そこに至るまでの過程の具体的な戦略についての本も書いて欲しいかなあと思いました。多分脱成長コミュニズムに至るまでの間のプロセスがごっそり抜け落ちていて、そっちの方が本気でこの世界を変えるつもりなら大事。

2021年5月10日にAmazonカスタマーサービスによって削除された斉藤幸平著 『人新世の「資本論」』への2020年9月29日投稿のレビュー|Less Than Useful|note
最後に自分なんかより遥かに深い批判を加えていらっしゃる方のnoteのリンクを貼っておきます。自分のように知識がないなりに違和感を感じて読んでいた人間からすると、ちゃんと知識に立脚した上で批判しているので自分の感じた違和感の答え合わせにもなる部分があって、本自体を読んだ時よりも学びが多かったレベルの書評です。