心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

伊是名夏子さんは何が批判されてるのか理解できてないよね

今さら取り上げてみます。しばらく時間が経って、個人的に考えも多少まとまってきたかなって感じなので。

なんつーか記事内から引用すべきような部分は、彼女の言い分からは特にない感じ。
重要なのは車いすの人からも批判があったという点で、要するに同じ障害者さんの視点から見ても非常識だったということになる。

この人「声を上げないと変わらない」とかなんとか言ってますけど、その声の上げ方なり根本的な人としての考え方に問題があるのでは?だから批判されているのでは?

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障害の有無関係なく、助けてもらったら感謝する

何年か前に自分はこんなことを書いていました。


タイトルはズバリ「病気や障害をマウントに使っちゃいけない」。
今回書きたいことの前提がほとんど書いてあるんで読んでもいいよって人は読んでください。

んで、まあこの人は「障害をマウントに使う」をフルパワーでやってる印象なのね。
自分は障害者なのだから健常者が助けるのが当然であって、自分が無条件で助けてもらえる世界がゴールだと思ってる節がある。
なんだろうね。こういうスタンスって、どこかで差別がなくなってしまったら困る人のスタンスに見てるんですよね。世界中完全バリアフリーにしろ!的なこと言ってますけど、これ(現実的には不可能だが)実現した場合に自分のマウント取るための武器が機能しなくなるわけで。だから絶対不可能なこと言ってるような気がする。


そもそも健常者が健常者助けたって普通感謝するじゃないですか。エレベーター閉まりそうな時に中の人が開けるボタン押してくれたら「ありがとうございます」って言うじゃない。言わないにしても軽く頭下げたりするもんですよ。
そういう感謝する感覚は、障害関係ないよね?

伊是名さんの問題はそういう感謝するって概念がそもそも欠落してるところかなあと。
駅の一件も、事前連絡もせず現場で駅員さんにゴネて最終的に手伝ってもらって、その結果に対して感謝の姿勢は皆無どころか手伝ってもらってないような立ち位置でブログにアップする始末です。


一人の個人として批判されてんのよ、これ。障害者とかいうレイヤーは関係なくて、そういう人間性が。
手伝ってもらえるような人って手伝ってもらえるような人間なのよ。人としてちゃんとしてるのよ。無理言って手伝ってもらったことを文句たらたらでブログにあげたりしないのよ。

これっていわゆる老害にも当てはまっていて、老人=老害なわけじゃない。素晴らしい歳の取り方をした方は沢山いるし、逆に人に迷惑かけるような老人もいるってだけの話。これはそれぞれ一人一人の人間としての在り方の問題です。

今回も同じ話。
障害者が声上げたから批判されてるんじゃなくて、声上げた障害者個人の人間的な部分に問題があるから、その個人が批判されてるだけ。
こんなもん同じように車いすに乗って暮らしているちゃんとした人からすればとんでもない迷惑で、そりゃ「同じ車いすの人からも批判」したくもなるでしょって思いました。同じ障害者ってだけで巻き込むなよって思うだろうな、と。