心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

政府主催の追悼式が終わるの、そんなに問題かね

東日本大震災の政府主催追悼式、来年で最後の方針」
震災から10年という節目の年で一区切り。
一応自分も仙台で暮らしている被災者ではあるんですが、政府としては何も変なこと言ってないと思うんですよねえ……。

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自治体が今後も継続して毎年やっていく。政府としては毎年ではなく、その後の状況を勘案しながら決めていく。めちゃくちゃ妥当な話。
今後は5年とか10年とか、そういう区切りでやっていけばいいですよね。


毎年やり続けないことに文句言ってる人は、その「毎年やること」自体を重要視して追悼式自体の意味とか考えてなさそう。あといつものように何でもいいから現政府叩きたいだけの人か。

お葬式や一周忌、三周忌……みたいなやつ、あれってざっくりいうと「残された人」のために行うものなんだよな。震災ではなく病気だったけど、5年ほど前に実際に身内が亡くなって一連の式を経験してみて、ああいう式を通して現実を受け入れ、区切りを付けて改めて前を向いていくための準備みたいなものだと自分は理解した。
そういう意味でいうと、極端に毎年やり続けることに固執してしまうと前に進めないんですよね。少なくとも自分の考えの中では、律儀に毎年やるんじゃなくて少しずつその頻度が下がっていくことこそが意味なんじゃないかと。


一人の人間が亡くなるのと震災とでは規模が違いすぎるのも承知してはいるけど、そういう式の度に思い出すんじゃなくて日常のふとした時に個人個人が思い出して追悼する、そんな感じの方が自然なんじゃないかと思うんだよなあ。
ビートたけしも言ってましたが、震災という大きな一つの出来事ではなく一人の人が亡くなったという出来事が1万件以上あるわけですから。