心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

厳罰を求めるのはちょっと危ないと思う

何日か前のネットニュースですが。

事故直後は自分も同じような気持ちで、こんなヤローは……とか上級国民テメェ……とか思っていましたが、多少時が流れた今、自分の中ではこの流れもまた少し危ないかなと感じている。

「厳罰を求める」がどの程度を指すのか。
起こした事故の大きさと被害の深刻さから、警察なり裁判なりが真っ当な動きをすれば真っ当に厳罰になるはず。
例えば今回署名した人たちに安易に「極刑だ!」とか思っている人がいるとすると、それはそれで法治国家とは何かという話になっていく。

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現状なぜかやたら展開が遅くて、やっと書類送検する方針ってあたりに闇を感じなくもないです。なぜこのレベルの事引き起こして任意の事情聴取?とかも思う。
そういう国への不信感が今回の署名に繋がっているとも思うが、だからこそ求めるべきなのは厳罰というよりも適切な判決ってところかなと。「正しく裁かれてくれ」と言わないとダメな案件だと思います。正しく裁かれればそれなりの厳罰になるはずだし。


気持ちはめちゃくちゃ分かるんだけど、ここで感情的にただ厳罰を求めてしまうとダメですよね。
法に則って然るべき判決が出ることを求めて、その時にどう考えてもおかしいと判断できたら改めて然るべき刑罰を求めるのがよいのかなと。今の流れ的にはそうなりそうな気もしていて嫌だけど。
……あのおっちゃんをかばったり守ったりして得する、あるいは損しないような勢力ってどこなんだろうな。