尾木ママが少し前に言ってたらしい理論。
感覚としては非常に分かるんだよな、コレ。最近の尾木ママはどうも苦手ですが、今回の論についてはほとんど完全同意に近い。

小学校の国語 学習塾トップ講師がすすめる 読解力アップ直結問題集
- 作者: 高濱正伸,片岡上裕
- 出版社/メーカー: 実務教育出版
- 発売日: 2017/09/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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人間にとって言語って極めて重要なコミュニケーションツールであって、その中でのやり取りが上手い人はやっぱり人間関係の立ち回りも上手いように思う。
「国語が苦手」というのはそのコミュニケーションスキルが弱いということと繋がるであろうことは想像出来るわけで、そうなるとどうなるか……。
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まあ端的に言うと、何かネガティヴな場面になった時言語による解決が出来ないため、暴力に逃げたりするってことなんだと思う。
一つ方法論が足りないんだよな、おそらく。
何か少し気に入らないことがあった時に、普通なら会話とか、あるいは自分の中で言語化することで落ち着くことができる場面。
その方法が上手く取れない時、上手く逃すことが出来なくて暴力に行くように思う。モノや人に対してね。
いわゆる「イジる」と「いじめる」はやっぱり明確に違っていて、本来「イジる」ってのはかなり言葉選びとか難しいんですよ。自分も職場で同僚イジったりしてますけど、リアルタイムに意識してはいないけど相当言葉の選択に気を使っている。
そのくらい「イジる」って繊細なことですよ。「あ、今のハードルちょっと超えちゃったな、コレではイジメと変わらないのでは……」みたいになって反省したりすることも多々。
明確に違うけど、その境界が曖昧なのが「イジる」「いじめる」問題。
そこで国語力が差として現れて、「いじめる」に至るんでしょう。言ってみれば加減が分からないんだろうな。
この辺の感覚を学ぶのにお笑い番組とかバラエティとか、結構有効だと思う。アメトーーク!とかね。
強い、厳しい言葉を選択しているのに嫌な感じを受けないという凄い人もいる一方で、勘違いしてはっきり厳しいことを言うだけで「毒舌」とか勘違いしている人もいる。
ほんと、マツコ・デラックスさんはすげえと思います。
絶対あの人、国語めちゃ得意だぜ。