以前「頑張りますっていう人が信用できねえ」ってのを書いたんだけど、「頑張れ」って言うのもまた信用できねえ。というか無責任だなあと思う。
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特に仕事での関係で、上から下に対して言う場合。もうこれ、上が具体的な指示やアドバイスすることを放棄しているのと同義だと思うんだけど。
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なんかねえ……。
小池都知事とかにも少し感じているんだけど、この「頑張れ」系の具体案出せずに精神論で押してくる人の流れとしては、問題に対して正面から向かい合わず、なんやかんやごにょごにょ言って論点をずらしたりするイメージ。都知事の場合だと無駄にカタカナ語を使うことで中身がなくてもそれっぽく聞こえるように味付けするみたいなことがありますね。アウフヘーベン。
で、そんな中でも出てきた具体案はというと、はっきり言うと内容が非常に薄いんですな。それかおかしな方向向いてるか。
例えば「仕事の生産量が低い」→「よし、休憩時間減らそう!」みたいな。
ここは逆説的に精神的な部分まで思考が届いてない。普段精神論でモリモリ進むくせに、こういうことするとスタッフ全体の精神ポイントがゴリゴリ削られていくことが想像できてないというか。
もちろん休憩時間を減らすことプラスで複合的に考えているならいいけど、超短期的な場当たり的発想である気配がありますよねこういうの。
短期的な方策の他に、根本的なシステム改善みたいなマクロなものを絡めていくから最終的に組み上がるのであって……。
そういう具体案をしっかり詰めた上でそれらを「頑張れ」ならまあ理解できなくもないんだけど、「ちょっと思い付かないからとりあえず頑張れ」系はマジで危ない。
無理やり頑張らなくてもちゃんと成果が出るようにしていくのが理想の回転だと思うんだけどなあ。
マクロな視点で言えば、むしろ徹底的にロジカルに「こういうことを実行するとスタッフ達の精神はどうなるのか」も考える必要性がある気がします。自分は感情で動かず、周囲は大なり小なり感情が揺れることを思考に入れつつ計画を立てる。
結局本当に頑張らせたいなら、逆に頑張れ系のことをなるべく提案しない方がいいと思ってます。
ところで選挙の時に掲げてた「花粉ゼロ」は個人的にはだいぶ笑ったなあ。