先日職場を退職された方に誘われて軽く飲む機会があって、ぐっと踏み込んで何故辞めたかの話まで行ったんだけども、理由は漠然性の高いものでした。
仕事柄ただ淡々とパソコンの前に座ってキーボードを叩き続けるだけなわけで、人間関係とかそういうものではなく、その業務自体の変化のなさや遊びのない職場の空気感がキツかったそうで。
仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)
- 作者: 泉谷閑示
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/01/28
- メディア: 新書
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「こりゃ自分とは考え方としては真逆に近いな」と思う一方で、おそらく4〜5年くらい前の自分なら完全同意していただろうな、とも思ったわけです。
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仕事に人生の「何か」を求めなくなった
今のよく言えば平穏、悪くいうと同じことの繰り返しである仕事に対して、それ自体にネガティヴな感情を抱えるってことは、本人は意識してなくても仕事というものにそれなりのウエイトをかけて生きているんだろうなあと。
今の自分は仕事はただの仕事として割り切っていて、人生はプライベートで充実させればいいと思っているのでその辺の感性は異なるように思う。
相変わらず仏教と、そしてゴルゴ13による影響が大きい考え方の変化です。
感情を介入させないでロジカルに仕事する、みたいなのは仏教からアレンジして取り入れているスタンス。
あとゴルゴ13、あの人仕事中毒者だけど多分好きでやっているとかじゃない。説明が難しいけど、ただ仕事だからちゃんとやっているだけ。これもある意味では感情を挟んでない。
仕事を仕事としてちゃんとやって、プライベートをプライベートとしてちゃんとやる
昔は「好きなことがイコール仕事って素晴らしい!理想的!」とか思ってたけど、これやっぱり実現出来るのはごく一部の人であって、さらに実現してもその生き方に適性がある人も意外と少ないと思う。
好きなことを仕事にしようとすると、本当に相当高いレベルで好きじゃないと仕事になった途端嫌な部分が見えてくる。好きだったものが好きじゃなくなる可能性が高め。
だったら仕事は自分の好みと関係ないものにして、でもその代わりにやりたくないとか考えずにちゃんとやる。
そうして残った精神エネルギーでプライベートをちゃんとやる。
今はそういう明確に分断したシステムで生きている。
結構仕事についての価値観の話に及ぶと、仕事に対して多くを望み過ぎている人が多いように感じます。まあそういう人もいるだろうし、実際前の自分はそうだったし、理解は非常に出来る。
ただそうやって悩んだりしているなら、もういっそのこと仕事というものに対しての考え方をバチッと切り替えちゃった方が返って楽な気もするわけで。
淡白に考えると対価としてお金をもらっている行動なわけで、そこに異様な楽しさとかを求めるのも少し違うんじゃないかなあと。それはあくまで副産物であって、基本的には色々な嫌なこともあるのが当たり前で、それを割り切ってすることが仕事だと……考える方が楽になる人、少なからずいそう。割り切ると結果として嫌なことに対しての考え方も変わるので、感情的な負担も減る。
その辺を分かってない人たちが今の歪な景気状況と合わさった結果、仕事に生き甲斐を付与して給与は低いけど頑張れよ、みたいな狂った論調で人間を雇おうとしたりしてるんだろうけどね。