
- 作者: 志賀直哉
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/04
- メディア: 文庫
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わたしは志賀直哉先生の文章に惚れ込んでいる。
わたしが志賀直哉の「城の崎にて」がすげー好きな理由を考えてみた - 心の雑草
少し遅めに目を覚まし、そのままこうしてパソコンに向かっているので脳は動き切っていない。しかしだからこそ出てくるなにかがあるのではないか、そんなことを思いながら書いている。
志賀直哉的な文章で旅を描くのは、どうも人を選ぶような気もする。
写実的であるが、淡々と事実を描いていくようなその作風では旅によってわたしの感じたものを表現するのはいくらか難しいことのように思えた。自身の想いも客観的に記すのは文章の熱がいくらか下がるようにも感じられた。そしてそれはブログとしては弱点になるようにも考えられた。
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空気を換えようと思い窓を開ける。強い風が吹いた。雲は多いが晴れていてよい天気だった。
極めて短絡的な考えだが、どうも旅というものとは相性は良いものの、ブログというものとは相性が悪いのではないか、それが志賀直哉的な無駄のないと称される文章ではないかと思った。
それでも一度は挑戦してみたいと考えていた。
「城の崎にて」は、わたしにとって「旅とブログの合一」のスタイルの一種の理想形でもある。
旅先の風景を精緻に描写すると同時に、そこから得た自分の考えも表現する。
その両輪こそが旅の醍醐味であるし、旅で世界という「外側」に刺激を受けることで自分の「内面」に変化が起きることこそが旅であろう。
ふと、志賀直哉の文章は仏教的な文章のような気がした。それがわたしを惹きつけているのかもしれないと考えた。
自分自身のことを書きながらもそれをどこか俯瞰的な目で描写するというのは実に仏教的だと思った。
思えば書きたいことはたくさんあるのだ。志賀直哉文学のように、ただ丹念に必要なことだけを書いていくような書きかたをしばらく続けてみようかと思い始めた。
「仏教思想とブログ」というある種相容れないものをひとつにするヒントを得たような気持ちになった。
我ながら、どうもいろいろなことがふわついたブログのように思えた。しかし仕方のないことだ、とも思えた。
それはわたし自身がいまふわついているからなのだ。仏教の勉強を通して学んでいる事とは、今まで生きてきた25年間の生き方の全否定を含むということに気が付いてから、そんな人間が書いているブログなのだ、何もかもが定まらないのはやむなしと考えるようになった。
ラーメンを食べたいと思った。
そして明日は映画でも観に行こうとも思った。
志賀直哉先生の文章をお手本にしながら、非常につたないものの書いてみました。
これが良いか悪いかはともかく、わたし自身としては結構書きやすいという手ごたえが。
やっぱり本来は、自分の書き方としては「だ、でる」系なのだろうと。
でも志賀直哉文章は「だ、である」でもないしなあ。