最近瞑想とかしていて思うんですけど
人間には何もしない時間が必要なんだなあ
ということ。少なくともわたしは。
忙しく日常を生きていると充実しているように錯覚しちゃうんですけど、これ充実してるんじゃなくて余裕ないだけじゃねーかな、とか思うわけです。
肉体的、時間的束縛による充実が何を意味するかっつーとメンタル面での色々がまるで手を付けられないまま過ぎて行くってことであって、この辺が上手な人も当然いるとは思うんですけどわたしみたいな奴は無理なので、ここはきっちり分けないとあかんわけですね。
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感覚的には「ヒマ」というのとは質的には完全に異なりまして、「自発的になにもしないことを選択する」ということなわけです。まあ何もしてないというか瞑想しているんですけれども。
瞑想は何をしているかというとですね、「脳みそに何もさせない」という行為とも言えるのではないかと思うのですね。
「考える」ことを徹底的に排除して、思考ではなく感覚だけで満たしていく。
それを続けていると少しずつなんですけど、頭の中からいらないものを捨てて整理整頓できていくような感じになってきます。
先に申しました通り「充実して忙しくしていると考えるヒマがなくて~」みたいな人もいるのかもしれませんけれども、これってレッドブルみたいなものなんじゃないかと思うんですね。
その「充実して考える時間がないほど忙しい」という一種のトランス状態が解除されたとき、本当は考えないといけなかったことが秋保大滝のごとくあふれだし、脳内は処理しきれなくなって縫縛のセグメントです。ちょっと例えがおかしなことになってきました。
自分の意志で「なにもしない」を選択することは大切なことで、定期的にでもいいからこの時間を取ることで「考えるための用意」ができると思います。
逆説的ですが、考えるスタンバイをするために「考えない時間」をつくるということ。なにより思考だけでなく感覚も研ぎ澄まされてくので、考えるときに「感覚」というスタイルも入って幅が広がりますよ。
やる気ないときは他のことやるより「なにもしない」方がスムーズに進むと思います、何事もね。
さあ瞑想しよう。
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