先日タイトル通りのことをTwitterで呟いたら思いのほか反響がありましたもので。
基本的には私個人の話ではあるのだが、結構広い範囲の方にもご理解いただけると思うんですよねコレ。
以前Twitterでそれはそれは突き刺さる言葉を見た。
だいたいやる気なんて本来必要のないものなんだよ!
やる気なんて出たり出なかったりするいい加減な運要素だ
やる気なくてもやることはしっかりやれ!
やる気が出なかった場合も想定して行動計画立てろ!
調べてみたらマンガでした。

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先に引用させてもらった言葉がほとんど言いたいことすべてで、やる気や根性といったものを燃料として動くことには常に不安定さが付きまとう。そして私は根性がないし、やる気に関しても熱しやすく冷めやすいからなおのこと不安定だ。
その点習慣化した、システム化したことはやる気や根性が基本的に少量で済む。

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彼ら福本作品の主人公たちのように「その一瞬だけにすべてをかけて乗り越える」という場合にはやる気や根性もいいかもしれないが、我々一般ピーポーはそんな生き方してないでしょう?
(ちなみにちゃんと読めばわかりますけど、カイジくんもアカギくんも基本的にはやる気や根性ではなくて「そのギャンブルのシステムの穴」や「相手の心理を読み切る」とか、そういった理論の積み重ねで勝ちをもぎ取っている)
仕事でも遊びでもなんでもそうだけど「行う」ということ自体にやる気を割く必要がなくなったほうが、先に進めるようになると思っている。それは有限な「やる気」「根性」というソースを割り振る自由が生まれるからだ。
「行う」ということ自体は習慣化・システム化をさっさと果たしてしまい、やる気や根性はその先の「どうしたらもっとよくなるだろうか?」「ここは違うやり方があるのではないか?」というような一歩踏み込んだことに対して使うべきだ。
もちろんはじめたばかりのことには、ただ行うという行為そのものにやる気・根性を割かなければならないことが多いだろう。
でもその「行うことにその不安定なソースを割く」ということを「習慣化してはいけない」ということは肝に銘じておかなければならないと思う。