心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「春雨じゃ、濡れてゆこう」的な「好き」

興奮するほど好きなもの、好きになりたいものがある暮らし - 能面ヅラ美
読ませていただいた。


どうなんだろう、私の場合はこの「好き」という感情には個人・個々の事象にそれぞれ適切な距離感みたいなものがあるのではないかと思う。


例えば雨。
私は雨が好きだが、その好きは

「おっ、雨降り始めたぜヤッター!!」

みたいなものではなく

「雨か……ゆっくり音でも聴きながら本読むか」

みたいな、まさに雨のようにしっとりとした「好き」である。その点でid:nomenzuraさんの言及していた「好き」とは異なる。


他には、私の場合はウイスキー。
これも興奮するような「好き」ではなくて、グラスを傾けながらその香りと味を堪能する、言わば落ち着いたスタイルの「好き」だ。
(というか「やったぜ酒だぜー!」ってテンションでしか酒を愛せない人って結構危ないと思う。アル中になる素養ありそうだ)


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素直に感情を表すようなものだけが「好き」ではなくて、私が先に挙げたような静かだけどどっしりとした「好き」はあるはずだ。
そしてこういう「好き」は瞬間的ではないから、長続きするような気がする。

内部処理としてはもちろん興奮しているんだけど、それが爆発的に表に出てこないような「好き」のほうが、私は「好き」だったりする。


恋愛感情欠落してる人って意外と多いと思ってる - 「げ」の一歩 改
以前この記事で「好き」は恋愛だろうが食べ物だろうが「好き」であって、変に区別しようとしすぎるとちょっとおかしくなるんじゃないか?的なことを書いた。

感覚としてはこの「好きな対象」という種類の細分化によって「好きの種類」を区別することよりも、テンションが一気に上がるようなものか、それとも心が落ち着くような好きなのか、そういった「好きの温度」とでもいうような縦軸のほうが重要なきがしていて、その温度を間違えるとせっかく好きだったものを失いかねないかなー、とか思うのである。


同じ酒好きでも、宴会のようにワイワイ楽しむことが好きな人もいれば一人や二人で静かに飲むほうが好きな人もいる。もちろんどちらも好きな人もいるが、この二種類の飲み方は決定的に「温度」が異なる。


私個人の話としては「しっとりとした好き」のほうが比較的多くて、だから東京よりも京都が好きで、遊園地よりも神社が好きで、みんなで旅行よりも一人旅が好きである。……少し分かりにくいか。


どちらがいいかっていう話ではなくて、まあどちらの「好き」だって変わらず「好き」だし、無理して興奮するような好きを作らなくてもいいんじゃないかなあということを思ったわけでした。