みんな知ってると思うけど、真田幸村は言うほど何もしてないから! - 言いたくないけど、僕が青二才です
こちらの記事を楽しく読ませてもらった。
そうなんだよねー、真田幸村ってそもそも生まれるのが遅過ぎたし、爺ちゃん、父ちゃん、兄ちゃんとことごとく切れ者だったわけで、実際に頑張ったことはなにかっつーと大阪の陣くらいってのはそうかな、と思う。
そもそも彼の本名が幸村ではなくて信繁であること、知らない人も結構いそうだし。
真田信繁 - Wikipedia
こちらのWikipediaを簡単にご覧いただければ分かるんですけど、戦国時代の終わりに徳川家康に一矢報いた真田信繁の漢気が、のちに読み物として修飾されていったわけですよ。その中で「幸村」という名前が浸透していった、と。
じゃあ真田幸村って大したことしてねえのかい!
と思った皆さん。安心してください。
彼は一時期、ストイックに製造業を営んでいた、町工場の英雄でもあるのです。
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真田幸村。
彼は関ヶ原の戦いにおいて西軍に付き、戦に敗れる。
その後彼はどうなったかというと、所領没収と同時に高野山、その後和歌山県にある九度山への蟄居を命じられた。
早い話がニートになってしまったのである。
東軍についていた兄、信幸の仕送りもあり、さほど厳しい生活でもなかったようだが、それでもお金は稼がなければならないし、なにかビジネスをしなければ本当にニートのまま終わってしまう(いや、来るべき時に備えて剣術とかやってたとは思うんですけど)。
そのために彼は何をしたのか。
父・昌幸の刀の下げ緒に使われていた、縦糸と横糸を編み込んだ強靭な紐。
これを家族でせっせと製造し、「真田紐」と命名。
堺の商人に売り込むと、それはその品質の高さが評価され、行商人によって日本各地へと広がっていったのである。
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靴ヒモに使ったり、いざという時にはロープ代わりにどうでしょうか。
以前アメトークで「町工場芸人」というのがあったが、真田幸村はさしずめ「町工場武将」であろうか。
きっちりサイドビジネスでも名を残しているあたり、真田一族ってのはつくづく優秀だったんだなーと思う次第です。