「疑問を持つには強さが必要だ」
映画「スター・ウォーズ」に登場する戦士、ジェダイ達に伝わる教えの一つだそうだ。
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考えれば考えるほどに深い言葉だったので、色々と書いてみようと思う。
疑問を持つ強さとは
例えば小学生が「俺エベレスト登ったことあるぜ!」とか言い出したら「ウソだー」と思うだろう。
これもある種「疑問を持つ」だと思うのだが、強さという概念とは繋がらない。
思うに強さが必要な疑問というのは、自己に対しての問いかけなのだと思われる。なんだか戦いと哲学とを結んでいるジェダイっぽい話になってきた。
「私がやっていることは正しいのか」と“私”が“私”に対して疑問を持つには、強さが必要だ。
それは自己否定にも繋がるからだ。
自分自身を規定する基盤が「自己否定できること」のステージに置かれていない場合、「すまん、俺が間違ってた」程度のことすら言えない。
そんなクソみたいなプライドで保ってる大人を散々見てきた。
明らかに間違っていると分かっても、なんだかんだと言い訳や屁理屈を積み重ねて、結局「私が間違っていました」とは決して言わない。
バカじゃねーのか、と。
己自身を疑うことができない人間に本当の進歩はないだろう。端的に言えばこういう人間は「考える」ということを日常的に行ってはいないという証左だからだ。
考え続けていれば、いつか必ず自分自身にも疑いの目を向けなければならない事柄が出てくる。
そこで対人的な恥を捨てて己を律することができるか。
それが「疑問を持つための強さ」だと思った。