心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

読了:すっきりわかる!超訳「哲学用語」辞典

私は

観念論者で
懐疑主義者で
リベラリスト
汎神論者で
エピキュリアンで
仏教好き

のようだ。


超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

今日、この本を読み終えた。
やたら難しい言葉の並ぶ「哲学」。アウフヘーベンとかね。
その用語たちを分かりやすく解説してくれている一冊。


哲学用語の解説に哲学用語が入ってくることなんかが普通の中で、相当わかりやすいのは確か。
暇な時にサクッと読むくらいでも楽しめる本だ。


先に挙げた「懐疑主義者」とか「エピキュリアン」とか、どれもこれもこの本を読みながら「あっ、自分のことじゃん」と思った要素達。
そうやって自分の考え方を示す言葉を見つけていくのも結構ワクワクだ。


ということで先に挙げた「私の要素」を見てみたい。

「観念論」

世界は私たちが頭の中で作り上げたものだとする考え方

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

やっぱりジョージ・バークリーの思想や仏教なんかが好きなだけに、どうしても観念論寄りになる私。


厳密な観念論とは異なるけれど、例えば。

目の前に一つのリンゴがあったとする(リンゴという果物は何処か哲学的よね)。
あなたはリンゴが好きなので、「おおー美味そう」と考える。
一方私は果物は梨とその他に区分されるくらい梨が大好きなので「なんだよ、梨じゃねーのかよ」と考える。

もうこの時点であなたと私とでは、同じリンゴに対しての意味合いが違う。つまり「違う世界」、それぞれの頭の中で作り上げたそれぞれの世界。観念的なものだ。……と私は思うのである。


個人的には「物質などが実在しているかどうか」自体はそんなに重要視していなくて、「そこにどういう意味があるのか」を問いたい、という感じ。


懐疑主義

断定を避ける立場

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

基本的に当ブログは「懐疑主義」のスタンスで運営しております。なんでも疑ってかかる、という意味も込み。
「昔はこう考えてたけど、今は違うんじゃねーかと思う」とか「紆余曲折あったけど暫定こんな考え方」とか。

断定しまくったほうが文章に力強さも出るし説得力も出るんだろうけど、それは異なる意見を見ないってことだしね。
考え方も柔軟に変化できることってのは強さだと思うので。


リベラリズム

中立な立場から判断する思想

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

これが読んでみるとなかなかに複雑。

リベラリズムというのは、政治哲学の基本用語で、一応「自由主義」と訳すことができます。個人の自由を尊重する思想を指すからです。
(中略)
ミルは古典的自由主義の内容を、「他人に危害を加えない限り自由は保障される」という形で表現しました。ここからもわかるように、リベラリズムは価値の中立性を意味しています。

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

まだ難しい……。
とりあえず特定の思想や権力に偏らずに判断をしようとしているので、その辺はリベラルなのではないかと。懐疑主義と組み合わせてみると何か共通項が垣間見える。

「汎神論」

すべてのものに神が宿っているとする考え方

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)


日本神話やインド神話はもちろん、スピノザも結構好きなので、汎神論に行き着くのは自然だろうか。
唯一の神YHVHっていうのがどうにも馴染まないんですよね私。僕ら人間と同じように、神様だってたくさんいた方が、なんだか暖かいというか。


「すべてのものに神が宿っている」って考えると、周囲の色んなものに感謝したり大切にしたり、そんな気持ちが生まれるので素敵。

エピクロス派」

快楽によって心の平安を求める立場

小川仁志超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)


欲望のままに生きろというのではなくて、「身体に苦痛がなく、魂に動揺がない」そんな生き方によって平安な心を目指す考え方。この考え方の人をエピキュリアンと呼ぶ。


「耐えること」は基本的にストレスだし、それは心の平安から遠ざかると思う。

たまにはキツめの運動もするが、それはやらされるのではなくて自らの意思で行うことなので快楽と言えよう。
これはまたある種のカタルシスだと思ってる。昨夜も模造刀を振り、腕立て伏せをして、広背筋に心地よい疲労感を与えた。エピキュリアン!

仏教好き

……すいません、哲学用語ではないです。

相変わらずいろいろと雑食的に仏教思想の本も読んでいる。

「観念論」や「エピクロス派」に近い部分が多い気がするんですよね。
仏教というと厳しい修行などが第一印象に上がったりして、いかにも禁欲(これはエピクロス派と逆の考え方でストア派と呼ぶ)に取られがちだけど、ブッダが悟った時って穏やかな感じの木の下での座禅だったわけで、これって心地よさ、快楽だと思うのです。

まとめ

こんな感じで、「自分の生きる上での考え方」みたいなものもすっきりするのはなかなかに有用な気がする。


というわけで私は……
世界はイメージで出来ていて
心の平安のために快楽を求め
仏教の考え方に傾倒しつつ
神はそこら中にいると思っている

のだけれど

そんな自分の考え方もいつでも変化するように全てを断定せずに
なるべく中立として自分の経験や体験を基礎として物事を見る


そんなタイプの人間ということである。
これだけ読むとすげえよく出来てるね、私は。


皆さんもどうでしょう、こんな自己診断。
「こんな変なこと考えてるのは自分だけかな」とか思っても、だいたい先人となる哲学者や思想家はいて、そんな人の名前とともに「すっきり分かる」本です。


超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)

超訳「哲学用語」事典 (PHP文庫)