先日放送された木村拓哉主演のドラマ「宮本武蔵」にて、こんなシーンがあった。
武蔵は宝蔵院流の槍の達人、日観に問う。
「人を救済せんとする仏の道と、人を殺めんとする武芸の道。その矛盾をどうやって克服したのですか?」と。
日観は答える。
「克服などしていない。矛盾は矛盾のまま、心の中にある」……。
矛盾は矛盾のまま受け入れて生きる覚悟。
白黒きっちりつけることは、ある種の放棄だからな。矛盾かかえたまま生きるのって本当に強くないとできないと思う。
「正義感が強い」と言えば聞こえはいいが、表現を変えれば「なんでも白と黒に分けようとしている」わけだ。
こういう人は極端な場合「悪いものは悪い」としか言えず、しばしばそこで思考停止する。
「寝たきりの親が殺してくれと頼むから、親の意志を尊重して殺しました」のような事例に対しては、法律上有罪であっても矛盾が付きまとうはずなのだ。
「白黒つけないと気が済まない」って人は、今まで大半の事象が抱えているであろう「灰色の部分」を自分で白か黒に塗りたくってきただけに過ぎないんじゃないだろうか。こんなに主観に執らわれた見方もなかなかない。
そしてなにより、弱いと思う。塗ったら考えること、悩むことからとりあえず解放されるのだから。やっぱりある面では逃避行動だ。
ブログなどで話題をかっさらう記事はたいがい「白か黒のどちらかに染めた記事」なのだが、そりゃそうですよね、片方に染めれば「そうじゃねーだろ!」って思う人が反論して、炎上する。
だけど「そうじゃねーだろ!」って人も反対の色に染めてるだけだったりする。
「灰色」の人はこういう時、あまり表に出てこないのが残念でならない。
どうしてもはっきりしない、本人もまとまった意見ではないからなのだろうけど、本当に考えているのはこの「灰色」の視点を持ち続けている人に他ならないからだ。
記事としてのインパクトが弱かろうがな、グレーゾーンを抱えたままな故に内容にまとまりがなかろうが、私はそういう「白とも黒とも言えない、未だに考えている最中です」という人の記事こそ読みたいし、そして私もそういう記事を書いていきたいと思う。