ゲーム「ヴァルキリープロファイル」に登場する若き天才女魔術師メルティーナさんの自己評価は
「私はナルシストでモラリストでエゴイスト」
なのだが、なんというか大体の人はこの3つの言葉が並んだ時に、同時には成り立たねーだろ、とか考えそうだと思う。私から言わせてもらうと全然成り立つ・・・どころか、私も自己評価をするにナルシストでモラリストでエゴイストなわけだ。
まず「エゴイスト」っていうのがマイナスのイメージでとらわれることが多いと思うのだが、個人的な意見としてエゴイストであることなんて当たり前の話で、むしろそれを隠して周囲にいい顔している人のほうがよっぽど怖い。
たとえばキリスト。
彼は無償の愛だとか、見返りもなく人を助けたりだとか、そんな話が伝わっている。
この時の無償ってのが物理的な意味なら正しいんだけど、彼は「神に遣わされた身」として人助けや奇跡を行っていたわけで、その時に無償かというとそんなことはなくて、「神に与えられた使命を果たす喜び」とか「助けてあげた人の笑顔や感謝の気持ち」のようなものを得ていたはずなのだ。精神的にはリターンがあったと思うのである。
おばあちゃんに道を尋ねられて、教えてあげて、ありがとうって言われる。
私は話しかけやすいオーラを発しているのかよく道を尋ねられるのだが、こうしてなんとなく温かい気持ちになったりする。
この時その「感謝されるという見返り」を意識して答えているわけではないにせよ、道を教えてあげることで何も不利益はないわけだし、もしかすると大阪だったらアメちゃんとかもらえんじゃね?くらいのことを無意識化で考えている(例えとして全然上手くないな、コレ)。
だから私にとっては、エゴとモラルというのは時と場合によっては十分両立するわけだし、自分のエゴがモラルと同じ方向を向くのならどんどんエゴイズム発揮すればいいと思う。
警官なりてえとか消防士なりてえとか、「人を助けたい」って想いすら自己の内部から発露したエゴであって、自己犠牲だってゆがんだ見方をすれば「自己犠牲して人を助けてるオレカッケー」があるかもしれないわけで、そういう想いを気持ち悪がって排除する必要はなく、それで結果多くの人が助かるなら万々歳だと思っている。
エゴイズムで人助けして俺カッケーするナルシシズム、その結果として人が助かるモラリズム。
何の問題があるのだろう。
エゴイズムは先に進むことを助長するし、ナルシシズムは自己肯定感を強くする。
「人道に反しない」というような道理のようなものをしっかりしてさえしていれば、これらはポジティヴに機能するものであるし積極的なモラルへと繋がっていくと思うのである。

- 作者: アイン・ランド,藤森かよこ
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