心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

知識の「質」という発想

当ブログでは「努力は質だ」としつこいくらいに書いてきたわけだが、ここに来て「知識も質だ」という言葉を見る機会があって、いろいろ思うことがある。


正直、今までは「知識」と「質」という言葉がイメージとして繋がることがなかったのだが、言われてみれば知識だって量より質なんじゃないかなーと。ずっと知識量を増やすことばかりしていたように思う。

寝る前にちょっと書こうと思った程度のことなので、要点だけさっくりと。


「知識の質」をどうやって定義するかと考えると、とりあえず思い付くのは実際に生きていく上で役に立つようなアウトプットがしやすいかとか、その知識自体のアレンジに対する受容の広さ、汎用性の高さ、この辺が思い浮かぶ。


「1560年に桶狭間の戦いがあった」
という知識と、
「1560年以降、織田信長の力は急激に拡大した」
という知識では、情報の持つ広さとかリンク性とかが明らかに異なる。

ある種の曖昧さもあったほうが良いような気がする。


ネットで言うとWikipediaの一項目ではなくて、Googleのような検索エンジン的な一面を持った知識のほうが、それまでに蓄えてきた知識とのリンクを作り出すことが出来て強そうだ。



とまあここまでなんとなく書いてみたのだが、そもそも知識の質が「知識を入れる側」によって大幅に左右される感が。


結局は知識を得ながら生きていく私たち自身が、それら知識をパフォーマンス高く扱えるデバイスであろうとし続けなければならないという。いくら知識そのものの質が高くても、扱い方が分からなければ質の高さを活用できないし。


うーむ、しばらくこんな感じの記事が増えるかもしれません。

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このアニメの影響がすごい。