こうやってしばらくブログ書き続けて、それで他の人のブログも結構読むようになってきて。
炎上させてPV増やしたいのかなんなのか分からないけど、書く記事のほとんどが批判や反論っていうブログは意外と多い。
誰かが書いた記事のリンク持ってきて、そのあと引用しながらも「いやいやそんなことはないやろ」のパターン。
あるいは直接世界で起きている事なんかを題材に、「お前らの考え方は間違ってるんじゃねーの?マイノリティである俺の考え方が正しい!」みたいな記事とか。
実際自分もそういう記事を書くこともあるが、どちらかというと反論よりも「前提を吸収した上での自分なりのアウトプット」が多いと思っている(んですがどうでしょう?)
前提となる社会事情やブログ記事というテーゼが与えられた時、それに対する逆意見に当たるアンチテーゼを述べるまではそんなに難しいことじゃない。内容の厚みは無視した場合、ただ前提の裏返しを並べていけば最低限のカタチにはなるからだ。
んで、結局ペラい記事だったりすることもたまにありますよね。
そもそもテーゼに対してアンチテーゼが書かれた記事を読んだところで
「で?」
と言いたくなることはある。
「ラーメンって身体に悪い食べ物だよね」
というテーゼが与えられた時に
「いや、ラーメンは身体にいいやろ!」
だけ言われても誰も信じるわけはなく、たとえそこからいかに身体にいいかを丁寧に説明されたところで正直私はしらけるのである。
それはテーゼに対するアンチテーゼの積み重ねにしか過ぎない内容だからであり、そもそもの「なんで身体に悪いって言われてんだ」が抜け落ちているからだと思う。
早い話が生産性とかオリジナリティがペラいんすよ、ただ反論だけ更新してるの。丁寧に噛み付いたところで所詮噛み付き。野良犬です。
自分の場合は「ラーメン身体に悪いっていってもねえ……。あ、じゃあ身体にいいラーメンを売りにしてるラーメン屋さんはないんだろうか」
から始まった。
んでちょっと雑誌立ち読みしたりググったら、化学調味料一切不使用の「無化調ラーメン」ってものが存在することが分かったわけだよ。
結果がこの記事。
これは物凄く美味い!「麺匠いちず」 - 心の雑草
実際に己の五感で確かめたものって、やっぱりジンテーゼ的な結論を生む。
「身体に悪いラーメンもあれば、いいラーメンもある」
当たり前のことなんだけど、体感したことから生まれたジンテーゼは重みが違うし、そして安直なアンチテーゼに逃げにくい。
時には脊髄反射で反論して「オレ、自分の意見持ってるぜカッコイイだろ」みたいなドヤ顔するのはやめて、あくまで正でも誤でもなく「疑問」としてふわついた状態のままで扱うのも大切だと思うの。
そのまま時間が経ってリンクする経験を重ねた時、そこから肯定でも否定でもない、本当の「オレの意見持ってるぜカッコイイ」が出来る道があるから。