心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

かけだしラーメンブロガーとしての心持ち。

【…え!?】メキシコが運転免許の試験制度導入 交通事故多発を改善のため - エキサイトニュース

こんな記事を読ませていただいた。
私も当ブログにおいてちょいちょいラーメン記事を書いている「かけだしラーメンブロガー」として思うことがあったので、いろいろ書きたいと思う。

先に結論から言わせてもらえば、別に「他のことを捨ててまで」ラーメンを食べ続けなくてもできるんじゃなかろうか、ラーメンブログ。
そして「周りの心ない一言」であっさり折れるくらいってことは、本心からラーメンが好きだったのではなく「自分の満たされない何かをラーメンで必死に埋めていただけ」なのではないだろうかと思うのだ。



「ラーメン毎日食ってたら身体壊すだろうな」なんてのは当たり前の帰結なわけで、それでも毎日食べてるってのは、私から見ると「本当に他のモノゴトを捨て去っても良いくらいラーメンが好き」か「ラーメンでしか自分の漠然とした虚無感を満たせなくなっている哀しい人」かのどちらかなのだと思う。

ラーメン評論家の石神秀幸氏は稀有な前者の人間であって、これが本当の、純粋100%でのラーメンブロガーとしての資質なのだろう。実際石神氏は現役でブログ運営しているし。
だけどそのレベルまで本当に向き合える人って恐ろしく少ない。それなのにラーメンブログなんてものを「人より本気で」始めてしまうと、本当の自分に嘘をつきながらやっていくことになる。

こういう道ってのは周囲から叩かれることは当然のように覚悟して、周囲の目や声、それも相当エグいことにまで耐えるか受け流すかできるくらいの精神力ありきだ。
それなのに「人より相当ラーメン好きですよ」程度ではラーメンを主体としたブログをやったら心が折れてしまうのだろう。
これまた自分の客観視のお話になるのだが、「自分が毎日食べ続け、時に周囲からかなり辛辣な言葉をたたきつけられてもそれを意に介さず撥ね退けられるくらいラーメンが好きなのか」を見極めないといけないし、覚悟を決めなければいけない。

「エキサイトニュース」においてとりあげられたラーメンブロガーは、半ばプロだ。職業だ。そのレベルで「ラーメンを食べること」「ブログを書くこと」を行っている。
プロとしての矜持、誇り、意地、覚悟。それらがあれば何を言われても対して傷つかない。
やっていることは一種の職人のようなプロ意識が強くなければならない内容なのに、その意識がついていっていなかった。それが「うつ病ラーメンブロガー」を生んだのではないかと思う。

では私はどうなのかというと、まあラーメンは確かに大好きなのだがプロ意識を持って食べるほどの「好き」ではない。
そして幸いなことに、私にはラーメン以外の「好き」が数えきれないほどある。
酒が好きだから居酒屋もバーも行くし、そもそも仕事柄料理には多少明るい。
ラーメンと同じくらい和食や中華も好きだから、べつにラーメンだけに絞って記事を投稿する理由もない。というかラーメン以外の美味しいものについてもどんどん書いていきたい。

そう、私はある種逃げ道用意している「中途半端ラーメンブロガー」なのだ。
それでいい。いや、それが人間として正しいと思うから、それがいい。