インドに自分の両親を訴えた男性がいる。
その理由は「自分の同意を得ずに自分を産んだから」だそうだ。
こちらの記事では他にも何人か親を訴えた人の事例が載っているが、ニートの男性が親が仕送りを止めたことに対して……とか、母親がくれたプレゼントが不満で……とか、そういう理由の中でインドの男性の事例はちょっと毛色が違う……というか、なんか「インドっぽいなあ」とか思ったりしてな。
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個人的には気持ちが分からなくもない……どころか結構分かる。だからといって親にぶつける気もないが。
少なくとも量で言えば幸福なことよりも圧倒的に苦痛が多いのが生きるということで、そもそも産まれなければこんな苦しみも受けずに済んだのでは……ってのは結構分かっちゃうんですな。
ぶっちゃけほとんどの人間にとって生きるのは苦行だと思いますよ。金があっても違うものに苦しむだろうし。何かを得たら次の何かを得たくなるループですよ、人間なんて。
しかしこの理由で訴えたのがインドの方ってのが実にインド。
仏教は「四苦八苦」なんて言葉があるように、生きることは基本苦しいことから立脚していて、そんなことを考えたお釈迦様はインドの産まれなあたり何かを感じます。
悟りに至ればいいのだろうけれども、悟りは遠い。
悟れない場合に「そもそも産まれなければ良かった」という思考に至るのは不自然ではないと思う。
結局だましだまし生きてるんだよな。
今日の仕事終わったら一杯飲みに行こうとか、9月にモンスターハンターワールド:アイスボーンが出るとか、そういう小さな未来の幸福にしがみつきながらリアルタイムの苦痛をやり過ごすような生。
そういう中で少しずつ、薄い紙を貼り合わせていくように悟り(のようなもの)に近付いていきたいもんだし、そういうことくらいしかできないような気もしますわ、僕は。