心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

ポリコレ棒って言うのか

何かしらの「概念とか思ってること」みたいな、自分の中にはあるんだけど適切な言葉が見つからないやつ。
そういうのにある時突然、存在している対応する言葉に出会って「これや!」となります。今回のは「ポリコレ棒」ね。

日本とアメリカ 二つの正義―ポリティカル・コレクトネスを超えて

日本とアメリカ 二つの正義―ポリティカル・コレクトネスを超えて

「それ差別や!表現変えろ!」とかのやつね。
ざっくり言うと差別される側を守るような立場。看護婦を看護師に呼び方変えたりするようなのがポリティカル・コレクトネス。
個人的にはこれ、差別だ差別だって言ってることでかえって差別を表出化・定義化しているような気がするんだけどね……。

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考え方自体は正しいと思うんだが、正しいってことを武器にしてちょっとなんかあったら速攻で攻撃する、それがポリコレ棒。
正義は行き過ぎるとカルト宗教じみていくよねえ……。差別するような奴は容赦なく攻撃してもいいってのは、差別してる奴とさほど変わらないのでは……。


もうちょい定義みたいなものを広く取ると自身の弱さを武器にするような人もこれに当たるのかなあと思っていて、このブログで取り上げたことがあるものだとプロ障害者の方とか、あとtwitterで論争になったら自分が鬱病であることをアピールしだした人とかかな。「障害」もポリコレで引っかかりそうですね。「障がい」って書かないと……と思いつつ、これ主に言ってるの健常者じゃねえのかと思ったりもしてな。

なんというかね、差別を“是正”するんじゃなくて差別を“利用”しちゃったらおしまいなんだよな。ポリコレ訴えてる人達自身が差別を必要としちゃってるじゃない、構造として。
攻撃するという目的のために差別があるのだから、このタイプの人種の人たちは差別をなくすことができないだろうな。最悪差別が「存在しないといけない」から。

一部は正義に酔ってる人もいそう。
弱い人間の側に立ってる自分カッコいいとか、正しいことをしている自分は他の人間より上、とかね。


ポリコレ自体はいいと思ってます。ただマイルドに進めていかないと、別の衝突が生まれる感じもする。
問題はその中に潜む過激派の皆さんね。キン肉マンでいうとゴールドマンではなく、シルバーマンのように差別という問題に取り組んでいかないと。