ある方によると「炎上すれば多くの人の目に触れて、考えるキッカケになる」という理論によって炎上には意味があるそうですが、本当にそうなのかってのを少し考えてみる。
- 作者: 田中辰雄,山口真一
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/04/22
- メディア: 単行本
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「考える」とは何かというと、僕個人としてはなるべく感情の介入を排して理性によってアプローチすることだと思うんよな。
というところで「炎上」を省みるに、炎上させる側も炎上に乗っかる側も8〜9割くらい感情が先行すると思うんですね。つまり「考えてない」。
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最近でちょうど良さそうなのが「ダムカレーは不謹慎だ」のやつ。まああそこまでいくと怒りとかじゃなくて失笑なんだけれども。
あれを書いた人がなぜダムカレーを不謹慎だと思って断じているかは、元記事読んだら分かるけど感情に任せて書きなぐってますよ。
そもそもダムカレーがダムの観光資源化とか、地域の活性化とかポジティヴなところに起因しているのは少し考えれば分かるわけです。
その辺全無視して「米で作ったダムを崩して食べるなんて不謹慎や!災害思い出すやろ!!」っていう論調だからね。僕は東日本大震災後の何もかもなくなった地域をこの目で見ましたけれども、ダムカレーでそれを思い出しません。つーかダムカレーから災害連想する人なんて本当にいるのか?ってレベル。
詰まるところアニメの美少女捕まえてきて「現実にこんなスタイルの人間性いないだろ」とか文句言ってる人と同じですかね。現実とフィクションはちゃんと分けましょう。
……ということで、あのダムカレーの記事を読んでもそもそも「本当にダムカレーは不謹慎なのか」を考えるとっかかりもない文章なので、読んだ側も是非を考えるところまでたどり着きにくい。実際自分も「ダムカレーが不謹慎ってなんだよ」としか思わなかったし、冷静に論理的に考えてみたら不謹慎な要素もあるかもしれないよね。もしかしたら。
という感じで、発信する側が感情に任せた薄い内容のことが多いので、炎上から波及するのはこれまた薄い感情による何かでしかないことが多いと思うんですね。
炎上させるんじゃなくて、落ち着いた問題提起しましょうよって話。炎上の文字通り広がりはすれど、そこから「考える」にはなかなか繋がらないと思うよ、炎上という方法は。