心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

脚本に釘を刺しているように読めてしまった、松田翔太のインタビュー記事

今年の大河ドラマなんですが、この前の徳川慶喜が将軍になってから大政奉還までを1話で片付けたっていう回をもって完全に観る気が失せてしまったので、もう観ないかなあって感じ。
そんなに歴史を端折るなら西郷隆盛でやるなよって思っちゃうんだよ。登場人物全部フィクションにして、舞台も時代もオリジナルのフィクションでも問題ないじゃんって。

新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

そんな折にニュースアプリを見ていて流れてきたのが、徳川慶喜を演じている松田翔太さんへのインタビュー記事だったんですな。
この内容が暗に今年の大河ドラマに対しての批判にも読めてしまったので(まあ自分がそう見ているから、松田翔太さんの記事をそう読み取ってしまっている部分もあるだろうけど)ちょっとご紹介。

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「僕が事前にリサーチした慶喜像というのは、しっかりとした政治家、戦略家というイメージ。今回は感情的で、乱暴なお殿様というか(笑い)、すべて『慶喜のせいで』みたいなことになっている」と苦笑いを浮かべる。

苦笑いを浮かべる松田翔太。正直自分も「今年の徳川慶喜、思ってたのと違う!」的な感想は抱いていたけど、それが悪い方向に違ってきた。
物語の構造上、慶喜が悪でなければ“ならない”感じが脚本から匂い立つというか。分かりやすい悪がいないと物語を作れないんだとしたら、それぞれの登場人物に魅力があって、かつそれぞれが絡み合い深みのある作品なんて遠いと思うんですがどうか。

せりふの最後につく「!」に「『これはどういう意味なのか?』と悩むこともありますが、大河ドラマのように長い間、役として生きている中では、筋にこだわりすぎると混乱してしまうこともあるので、そこ(筋)はこだわらず。分からない部分を逆に楽しもうって感じでやっています。ここで笑ってみてほしいと言われれば、思いっきり笑ってみたり。そうしたら自分はどういう気分になるのかって、期待を持って現場に来ている感じです」とどこまでも前向きだ。

記事としては「前向きだ。」で締めてるけど、これ松田翔太が台本を読んだ時に台本の意図が分からないって言ってるのと同じわけでして。
これは大変だろうなあと思う。「なぜ慶喜は声を張り上げているのか?」「なぜ慶喜は大笑いしているのか?」そういうのを、事前に自分で調べて作ってきた「しっかりした政治家・戦略家」というイメージとの距離と考えると、もう別の人物演じているのではないかと。

もうある種開き直って「こう書いてあるから、考えずにそれやり切ろう」って感じがする。ということは役者さんたちは脚本には意見できないんかね?

「幕末のような新しいことが起きるときは、自分の正しさを信じたやつの勝ち。これは間違っているかもしれないと思うような人間は歴史に名が残らないし、ある意味、全員が正しい。善悪ではない」ときっぱり。

もう徳川慶喜が明確な悪として描かれる今年の大河ドラマに対して、演者が「全員が正しい」「善悪ではない」って言っちゃってます。
個人的にはここが一番「全て慶喜のせいで、みたいなことになっちゃってる」今年の大河ドラマに対して釘を刺したように読めた箇所。善悪ではなく、全員が正しい。そう考える松田翔太からは、自身が演じている徳川慶喜はどう映っているのだろう。


演技でめちゃくちゃ魅せてくれている松田翔太さんが言うからこそ重い

んで今年の大河、それぞれの俳優さん・女優さんは素晴らしい演技をしていると思うんです。この脚本の中で、この脚本以上のことをしてくれているので、ここまでなんとか観てきたんです。

でもその俳優さんの一人がこういうこと言ってるのか……と思ったら。ちょっと悲しくなってきたよね。

慶喜は、ああだこうだいろいろと言われながら、80歳近くまで生きているから。生き延びることが正しいのなら、彼は正しかったってことになりますよね」と結論づけていた。

徳川慶喜は間違っている前提で進んでいる今年の大河において、それを演じている俳優さん自身にこんなこと言わせちゃダメじゃないのかなあ……。


ところで前回、前々回と既に観ていないんだけど、ツイッターで観た人の感想は観ている。
「西郷が突然闇堕ちしていて、経緯が描かれてなさすぎて置いていかれている」ってのが結構多く見かけた意見ですかね。そう、今年は異常に登場人物の心情変化がカットされるよね。