心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

一部の根性論者は、それが楽だから選択しているだけなのでは

根性論系のシステムというか、思想というか、やり方というか、そういうのは引き続き絶賛否定中なんですけど、何故かの理由の一つに「頭を使うことを否定しているから」がある。

で、少し思ったのがそのような「頭を使うこと」が面倒だから、なし崩し的に根性ルートに入っている「消極的根性論者」みたいな人もコッソリ存在するんじゃないかということ。

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合理主義的アプローチの方が本当は大変

反対語に近い立場なのが合理主義かなあと思う。
ウィキペディア様から一部引用すると、

慣習・伝統・常識に囚われず、目的達成のために最短・最効率な手段を選択していこうとする態度。効率主義。

とある。今回書いている合理は、効率と同義ですね。

これを実行しようとした場合、確実に頭を使うことになります。
「今のやり方はこう(慣習・伝統・常識)だけど、違うやり方を考えよう」だから。前提の部分を疑わないといけないし、場合によってはゼロから再構築する必要も出てくる。

思考停止して今の状態をただ一生懸命にこなすこととは、大変さの度合いが根本的に違うと思う。
身体的な疲労は根性系アプローチに負けるけど、脳みそフル回転させて色々試行錯誤した結果として、 効率的な新しい動きが発生しているんだから。


役職とかついてある程度人の上に立ってる人がこの観点持っていない場合、結構やべえと思ってる。
というか最近の仕事の忙しさから鑑みるに、うちの上層部ってこういう合理化・効率化の発想が希薄なんじゃねーかとか……。


「頑張った感」が与える幻想

合理主義は実はめちゃくちゃ大変なんだけど、外側からはそんなに大変に見えない。
逆に思考停止状態で闇雲に仕事をするのは、疲労とそれに付随する「頑張った感」だけは大きい。

理想の状態って苦労せずに高いパフォーマンスを上げることなわけで、「忙しそうに見えないのにしっかり仕事を終わらせている人」というのが一つのヴィジョンだと思う。
この人が苦労していないかというと先に書いたように真逆であって、「苦労せずに成果を出す」システムの構築に苦労した結果なわけですよ。それって根性でどうにかなるものではなくて、理性的に頭を使って積み重ねていくもの。つまりすげー苦労した「から」楽になっているんだよな。

頭を使うことから逃げている可能性

この辺まで考えてくると、頭を使うという苦労が嫌だから無理やり根性使ってる人いませんかね?ということを思う。
頭が良いか悪いかは別問題で、頭を使う気があるかないかの問題。「ない知恵を絞る」なんて言葉はよく言ったもので、頭が悪いから頭を使わなくていいってことにはならないだろうと。

実体験として軽く触れると、人にモノを教えたりする立場になると誰にでも必ず「楽をしたいって気持ちは大事ですよ」「どうしたら楽に仕事出来るか?を考えましょう」みたいなことは話している。
そうやって教えている最中はこちらがアプローチをかけているから考えるし、それで成果が少し出てくるような人ももちろんいる。
ただそういう教える期間が終わり、一人立ちさせると……考えるということが習慣化されるまで至ってない人は、そうやって一人になった時に元に戻っちゃうんですね。結局考えるってことをしないから、成長が止まる。

楽に、スムーズに、効率的に仕事が出来るようにするために考えるって部分は楽するなよっていうお話でした。