少し前に「働かなくても食っていい」みたいなのをネットで見かけたんですが、割と同意してまして。
社会システムと連動させた上での「働かざる者食うべからず」は地味に危険思想なんじゃねえかなと思っている。
世の中には働きたくても働けない事情を抱えている人もたくさんいるわけで、そういう人たちに対して「働かざる者食うべからず」は半ば呪いのような言葉に映るんじゃないかなあとかも思ったりする。
一方で「働かないで食う方法はないかなあ」などと考えている自分のような人間もある程度いると思うし、それを悪いこととは思ってはいません。
- 作者: 斎藤孝
- 出版社/メーカー: 集英社
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この言葉で思い出すのが、仏教系の本を読んでて数回出てきた昔のお話。
偉い高齢のお坊さんが老体にムチ打って畑仕事をしていたのを見た若い弟子が「私がやりますので、和尚は無理してやらなくてもいいですよ!」みたいに止めた。まあ高齢ということもあり、心配もあったんでしょう。
で、そのあとその和尚さんはご飯を食べなかったんですね。曰く「働かざる者食うべからず」です。
こんな風に自分で自分に課するのはいいと思う。あとここには金銭・社会的観点が絡んでないのもいい。
人から言われる言葉じゃないんだと思う。己自身に課す言葉であり、精神の言葉。
人が人に言う時は、少なからず社会的マウンティングが発生しているように感じる。だから気分が悪くなる。
宮沢賢治とか割と「働かざるもの食うべからず」の正しい姿なような気がしますけどね。
人生の終盤、宮沢賢治みたいな生活にも憧れたりするのです。