心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

多方面に手を伸ばす人を、宮本武蔵と比較してみる

以前オリラジの中田さんが受け付けない、みたいなことを書いた。
んでほぼ同じような理由でキングコングの西野さんもダメで、上西小百合議員もダメ。
いずれも「本業を忘れて、周囲に噛みつきまくっている」と感じるからです。

で、ふと思ったんですけど多方面に手を伸ばすといえば宮本武蔵
この人は人生の途中から剣術よりも芸術に傾倒していくというか。書や絵がいくつも残っている。

そんなふうに表面的には、僕が苦手とする上の方々と同様なのに何が違うのかと思ったら、そりゃ答えはひとつ。
宮本武蔵は本業を忘れてないからです。

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「兵法之利に任て諸藝諸能之道となせハ、万事におひてわれに師匠なし」
ということで、兵法をもって諸芸術に当たってきたので、自分には師匠がいませんよ、と武蔵は書いている。

そういう観点から思い返すと、以前博物館か美術館で見た宮本武蔵が描いた水墨画、素人目からしても力強さというか、線の伸びに力を感じたもので。一目で他の作品とかエナジーの種類が違うような印象を受けた。
剣術、兵法をベースにして、誰から教わることもなくたどり着いた水墨画の境地がそれだとしたら納得出来てしまうくらいの何か。常に根底には剣術・兵法が流れているのだなあと感じるような作風でございました。


武蔵の場合は兵法が極まるところまで極まってから、諸芸術に足を踏み入れている。
そうしたのちに晩年に書いたのは、結局自身の兵法についてまとめた五輪書。結局何をしていても、常に兵法とリンクしていたから最後の最後に五輪書を書けたのではないかと思う。


オリラジってお笑い芸人だよね。本業で成さずにしくじり先生とかで教えてるみたいな印象。
上西さんは議員さんだよね。この人は議員としては何をした人なのでしょうか。
なんというか、その自分の土台の部分がまるでふわっふわな印象を受けるんですよね、この人たちからは。

以前も書いたけど、だったら芸人名乗らないでくれよ、議員を辞めてくださいよと思ってしまう。

言語化するのはすごく難しいけど、生きるにあたっての矜持みたいな概念はあるはず。
まあそれを職業に求めなくても構わないのかもしれないけど、職業に求めているくせにそこを軽んじてあっちへ行ったりこっちへ行ったりってのは、違うのではないかと思うわけです。


と、ここまで書いておいてアレだけど極めて主観的、感覚的な内容なので、伝わる人にだけ伝わればいいかなという程度のお話でございました。