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心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

声に出して読みたい戦国武将の名前

仕事中に急に頭の中で声が聞こえてきたんですね。

佐々成政

という心の声が。

いいでしょう佐々成政。「さっさ・なりまさ」だよ。
もう音が良い。
「さっさ」
だぜ。

ということで変なテンションが上がってきたのでこのまま思いついた声に出した読みたい戦国武将ネームを並べていこうと思います。


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十河一存

まず読めますかっていう。「そごう・かずまさ」と読みます。「かずなが」とも。
戦国時代としては気持ち早めの時代に活躍した人で、あと早逝でもあります。30年くらいしか生きてないけど、その武勇で一目置かれてた人。

細川氏による武家政権を終わらせ、ある種再び混乱の時代に引き戻してしまった三好長慶の弟であり、十河家の養子に入りつつ兄貴を武力面で補佐した男。毛利でいう吉川元春的ポジションですかね。

そんな十河一存、癌で亡くなったとされているけど中の悪い知り合いに悪名高い松永久秀がいたりして、なかなかに不穏です。桶狭間の翌年、1561年死去。
ここから松永久秀はズルズルと信長の周囲で生き抜くところを見ると、十河一存にはしたたかさが足りなかったような気がしなくもない。

松平清康

個人的には読んでて爽やかな風が流れるような名前。「まつだいら・きよやす」です。
「きよやす」って良いよな。

徳川家康のお爺ちゃん。そして若くして三河統一を成し遂げた極めて優秀な大名でもあります。信長の野望でもステータスかなり高いっす。
ただこの人不遇といいますか、三河統一した勢いで織田を攻めようとした時、突如家臣の裏切りに合って命を落とします。これを「森山崩れ」と呼びますが、まあ学校のテストでは間違いなく出ない。

ただ改めて凄えのがこの死んだ時若干25歳。この若さで三河統一してるあたり清康の才覚を感じさせます。

朝倉宗滴

早くして死んでしまった松平清康とは反対に、長生きしつつスゲー強かったし名前のサウンド感もカッコ良いのがこちらの朝倉宗滴さん。
「あさくら・そうてき」です。宗滴は出家ネームであり、本当は教景(のりかげ)だったりします。でも朝倉教景という名前もカッケェよ。

1477年生まれ、1555年死去ということで当時としては相当長生きさん、かつこの爺さん歴史的には終始大活躍し続けるという怪物。

若き日には野心に燃えて家督を奪おうとしたものの、既に奪えるような不安定な状態ではない朝倉一族事情を冷静に見て諦め、その後は主に軍事面で縦横無尽。
一向一揆鎮圧、浅井家との戦いの中では両家の仲介役的なポジションを見事に努めた結果両家の結束を猛烈に高めるわ、足利将軍に呼ばれては三好との戦いに勝利……と、なんというかただ強いだけじゃなくてその後の時代に一石を投じるような所までやりやがる男。

死ぬ直前まで戦場にいて、そこで病気が悪化して死ぬっていう。ある種バトルジャンキーです。
そして彼が死んだ後の朝倉家がどれだけ衰退していったかというところまで考えてみるに、このお爺ちゃん1人で頑張りすぎでした。
さすがに後継者育てる的なことも考えとけよとは思う。

長宗我部元親

有名で苗字が特徴的なこの方、はい。
「ちょうそかべ・もとちか」ですね、はい。

この人は信長と同じ時代を戦い、四国の統一まで成し遂げた男だけど……その先はやっぱり信長には勝てず、かと思いきや本能寺で信長が死んだ後は秀吉と敵対し続け、降伏してからは秀吉配下大名として地味に活躍。関ヶ原直前の1599年死去。

なんつーかこの人は終始不遇っつーかね。四国統一までは良かったけど、その頃にはもう信長が日本レベルの統一目前みたいな状態。
信長死後はもう丁寧に秀吉と敵対する勢力と手を結び続けて戦い続けるし、元親が死んだ後はというと後を継いだ盛親が関ヶ原で西軍に着いたもんだから長宗我部家終了。その後大坂の陣にも参戦し、盛親もここで死去。

なんか辛いっすわ。割と「井の中の蛙」を地でいく感じ。
四国統一で浮かれているのを、信長の立場から「鳥なき島のコウモリ」だなんて揶揄されたりした人……だけど、一領具足システムとか考えててそれなりにすごい人だったんですけどね。

気がつけばただの戦国武将紹介

ナンテコッタ。まあ仕方ないっすね。名前の音だけで語れることはほとんど無いよ僕には。

長宗我部元親以外は気持ち古めの武将さんたちです。もっとこの信長が活躍する一世代前くらいの戦国時代を取り上げて欲しいなあ。
結構面白いんですよね、この時代。