今日の晩御飯は松屋のビビン丼。
これまたあんなに通いつめてる松屋ではじめて食べるメニューなんだけど、なかなか美味いじゃないの……なんて思いながら食べつつそのまま思考は大きな方へ。
こんな日常のすぐ隣に「はじめて」が簡単に置いてあるんだよな。
生きるのってそもそもクソ面倒だし生きることに理由なんて特にないんだけど、そんなんでも生きなきゃいけなくてだな、そんな生きるにあたり何が生きるためのフックになるかっつーと新鮮味ですよね。新しいこと。「はじめて」だ。
何か新しいことに挑戦するのってまあ今度はこれがクソ面倒な時があるんだけど、いつも行く飯屋で食べたことないメニューを頼む程度だって十分「はじめて」だよなって思った話です。
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もう書きたいことの骨格は全部書いちゃったから特に書くことねえや……。
とりあえず退屈だわー、毎日同じことの繰り返しで生きてる気がしないわーと思ったら、何か本当についでくらいのレベルで出来る新しいコト・モノに触れてみるってのはなかなかいい刺激になると思うんですよね。
一番簡単なのが食事関係なのかなーと思ってて、言ってみれば立ち寄ったコンビニで新商品のアイス売ってたから買って食べましたってのも紛れもなくはじめての体験だし、なんつーかそこに気がついているかどうかっていう。
普段テレビ観ながら食事してるところをおもむろにノーテレビで全力でご飯と向き合ってみるとか。
はじめてってのはどうやっても刺激になるのは間違いないし、同時に日常に対しての変化であるわけで意外と大切なコトだと思うんです。
毎日同じことを繰り返す中に変化を見つけ出すようなのが坐禅なんかの面白いところだったりもするんだけど、これ自分でやってみて分かったけどかなり繊細な感覚だし、「さあ今から坐禅して内観してね!」っていきなり言われて出来るわけない。自分自身なかなかそこまで集中できるようになってない。
内側が難しい時に外部刺激をスイッチとして変化を加えるのは有効なツールで、自分探しのために一人旅をするっていう構造はモロにこれだと思う。
何が言いたいかというとちょっと見回せば未体験の出来事なんて数え切れないほど溢れてるわけだからちょいちょい挟んで行こうぜっていうことです。