心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

刃牙道 第81話「黄金」感想

「飛びかかれば反応する宮本武蔵が目の前にいる」
「黄金の山に囲まれていたって、宮本武蔵しか見えねェさ」

「アンタに俺はどう見える」
と尋ねられた勇次郎は「アンタにしか見えない」と答えた。
……まあ普通の人はそうなんですけど。

「アンタには俺が黄金にでも見えるか」
「イカンか黄金は」
それを聞いて、勇次郎ちょっとイラっとしてる?


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「闘争は目的ではなく手段か」
「純度が低い」
勇次郎氏、散々武蔵の考え方をこき下ろしていきます。
「純度は必要か?」
そもそもの地点に疑問を呈する宮本武蔵


このあたりから今週の話全体を通してなんだけど、戦国時代が終わり戦の無くなっていく過渡期を生き抜いた「戦闘能力でしか己を表現できない人たち」と、そもそも平和な現代に生まれたが故に「戦闘に意味を持たせる余裕がある人たち」との差異が描かれているような気がする。

数えること60回以上の立会い。小競り合いも含めれば優に100は超える。
斬って斬って斬っているうちに、京に奈良に江戸にと自分の名が広まった。
そうしている内に諸国の大名からも声がかかり出す。
名のある剣豪を圧倒すれば、どんどん自分の価値……召し抱えられる条件は良くなっていく。

やがて道を歩けばまともに進めぬほど、万人が自分に群がるようになった。
金も女も、馳走も酒も思いのままだ。

出世したい。
誉めたたえられたい。
そうして逃げも隠れもできない身になりたい!

それが武蔵の戦う理由だった。


ちなみにこれ聞いてる勇次郎も徳川さんもがっかり顔してます。
武蔵のことだからこの演説そのものがフェイクの可能性が今後ありますけど、基本的にこの考え方は自然な気がする。

戦国時代末期に産まれた宮本武蔵。信長が死んだ直後に誕生。
彼がその武によって立身出世をしていこうと思っていたら秀吉があれよあれよと天下統一。
朝鮮出兵とかがあるからまだまだ戦で身を立てることはできる!と思ってたら秀吉が死去。

この辺で宮本武蔵関ヶ原に巻き込まれるわけだけど(九州で戦っていたというのが一般的な説ですな)、終わってみたら徳川が勝ってしまってそのまま江戸時代突入。最後の戦いである大坂の陣によって後始末も完了。
由井正雪の乱からも分かるように、戦のない時代になった時に今で言う「職業軍人」は一気に仕事を失うわけです。


だけど自分には戦うことしかできない。それでしか自分を表現できないのに、戦う機会はもうない……。

例えばそんな風に荒んでた武蔵が、若い頃に何かフラストレーションに突き動かされて斬り合いしているうちになんだか有名になってきた。
「あれ?平和な時代になりつつあるけど、それでも俺は剣によって出世できるんじゃないか?」
そう思ったとしたら。

妙に求道者みたいに描かれる武蔵も、関ヶ原大坂の陣、そしてその生涯の終盤には島原の乱にも参戦しているわけです。現実問題として「戦による出世」というのは彼の中で根強く残っていた考え方だったのではないかと思うわけです。


現代人である勇次郎や徳川さんには、そもそもそういう時代のバックボーンがないし理解できない。
宮本武蔵にある種異常な精神性の高さを見るのは、人間的に成熟した状態で書かれた「五輪書」や絵画や書にも優れた才能を発揮していたという、どれもこれも宮本武蔵が完成した後の情報であることが多いと思うわけです、私は。


……ところで刃牙道の武蔵はマジで何歳の時の武蔵やねん。
五輪書を書いたあとならこんなこと言わないような気がするんだよね。
でも自分が剣によってここまで登りつめたんや!という発言や小次郎と戦ったことを覚えていることも考えると……マジで何歳なんだ。
やはり現役時代並みに動く肉体を取り戻し、再びその闘志に火がついたみたいな感じですかね。
再生アシュラマンみたいだ。

ともあれ振り向きざま、イメージブレードによって勇次郎は斬られた。
これを勇次郎がどう受けるか。