心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

チャンピオンがお休みなので刃牙道の主題について考える

お盆休みです。

お盆休みは各種雑誌類も合併号などでお休み続出。我らが刃牙道の載るチャンピオンだってエリアだぜ。

というわけで以前書いたこちらの記事。
「刃牙道」自体が刃牙シリーズと矛盾している - 心の雑草
こちらに丁寧でありがたい反論コメントを頂いているので、そちらを参考にしながら考えを深めてみたいと思います。

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刃牙シリーズのテーマとは

「素手で最強」。
これが私の定義した刃牙シリーズ全体のテーマだったのだが、コメントではこの部分に疑問を呈して頂いている。

タイトル(もしくは「編」)が新しくなるときには、常に作品テーマも変化してきました。
『バキ』では、「武器vs素手」「様々な強さの概念」
範馬刃牙』では、「究極の野生との戦い」「子と父親の決着」
といった具合です。

なるほど。なるほどと思いつつも、しっくり来ない気持ちも結構強い。
上のコメントで挙げられたテーマは確かにあるんだけど、それらの闘いすべてが「素手」で行われている上、武器対素手でも素手が勝利する(物理的にも精神的にも)のが刃牙シリーズだったわけだ。
ドイルだって最後には内蔵凶器に頼らなくなってくるし、武器対武器だった本部VS柳も「武器に頼りすぎた」柳が敗北する。ゲバルは素手でアメリカという国そのものを脅かす戦闘集団を組織し、ショットガンも日本刀も効かなかったオリバを素手で殴り倒し、刃牙は成長していくわけである。

確かに区切りごとにテーマは変わっている。だが根源的な肉体信仰というものはずっと変わっていなかったと感じている。
「テーマ」という表現が間違っていたのかもしれない。テーマよりももっと土台の部分の話だ。
「素手こそ最強」という土壌の上で、強さの定義だとか親子ゲンカだとかが展開されている構造だったと考えている。

宮本武蔵

再びコメントを引用させて頂きます。

さて、『刃牙道』ですが、この作品のテーマは「命のやり取り」です。
武器の存在が再びクローズアップされましたが、今回の武器の扱われ方は、死刑囚編での扱われ方とは明らかに異なります。
単純に「越えるべき脅威」としてだけではなく、「死を与える為の舞台装置」としての役割も担っています。

武器……というより、宮本武蔵自体が「死を与える為の舞台装置」か。もう少し正確に言えば、宮本武蔵によって「死が当たり前に訪れる闘いのステージ」に刃牙シリーズは突入した。

では「命のやりとり」がテーマなのか?というと、ここで宮本武蔵の現れ方自体が相当な矛盾を孕むことになる。
この剣豪は最新のクローン技術と霊媒能力によって「死んだ状態から蘇った」わけだ。いくら死が当たり前の時代を生き抜いた人とはいえ、これがある限り「命のやりとり」は希薄に見えてしまう。

極端な話をすると、徳川光成の財力とクローン施設、徳川寒子の霊媒能力さえあれば、死んだ人間は10ヶ月後には蘇生することができる世界が今の刃牙ワールドだ。烈海王が死ぬという大事件が起きていながら特別何も感傷が起きないのはマズイ。というかTwitterとか見てると「烈海王ホントに死んでて笑う」みたいな呟きの方が多いくらいだ。

そもそも宮本武蔵が現代科学とオカルトによって蘇ってしまってる時点で「命の重さ」なんて感じ取れない。派生して命のやりとりの重みも見えてこない……というのが、現状の私の素直な感想。

今のところとっ散らかってる印象

宮本武蔵の登場、そして烈海王による「武器対武器」の闘いの要求が通った瞬間に、グラップラー刃牙から続いてきた「素手最強」のフィールドからついにシフトしたのが刃牙道だ。
これはどうしても違和感があるんだけど、それは仕方がない。だって単行本で100冊以上も素手の物語を読んできたわけですから。
このタイミングでのステージの大きなシフトは板垣先生の英断かなあと思える。

ただ問題はそのシフトした世界に対して、今までのキャラクターのほとんどが着いていけないことである。
そりゃそうです。武器を持たないで強くなることを磨き続けた奴らが大多数の世界だからだ。最大の問題は範馬親子揃って今のところ全く着いて行けてない点。

消去法的に数少ない「武器術に精通したキャラ」が光り出して、今では本部道。他に考えられるのがガイアくらいしかいない。


ぶっちゃけ今のところは「板垣先生の考える宮本武蔵」を楽しむだけの作品になってしまっていて、そのために歴代キャラが容赦なく咬ませ犬に使われる始末。刃牙道の「道」の意味はおろか刃牙は何してんの?って状態なのだが、まだストーリーとしては何も始まっていないようなものなのでなんとも言えないのもまた事実であるわけで。


宮本武蔵の闘いを見て、宮本武蔵の前に散っていく格闘士を見て、刃牙にとって闘いの持つ意味が変わっていく。
今まではただ親父を倒すために磨いてきた力が、刃牙なりの哲学を帯びて「道」になる。
そういう意味で受け止めたいけれど、はてさてどうなるか。



ただ武蔵が剣を振るうコマは全部恐ろしくカッコいいので、やっぱ画を見る漫画なんだなあ……などとも思ってます。
でももうちょっと圧倒的な筋力とかじゃなくて、技術的な部分の演出もして欲しい。だって宮本武蔵だもの。