「自分が直接経験したことしか信じないよ」みたいなやつね。
一見正しい風に見えるし、何よりなんかカッケーんだけどもこれ結構危ないんじゃないかって思い始めた。
逆に言うと「経験してないことは信じませんよ」なわけで、ちょっと冷静に考えりゃ人間一人が経験できることなんてたかが知れてるわけですわ。
そんな状態で経験外のこと排除していったら、確実にミスが起きると思うんですね。
全然関係ないけど箸休めにカマキリをどうぞ。
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例えば。
「俺の知りうる限りはそんなこと起きてないよ」
とか。
彼の根拠は彼自身の世界で帰結しているわけである。それが経験からアクセスして結論に至るシステム。
こんな怖い話はないですよ。彼が経験してないことは全て存在しないことになる。
仏教っぽく考えると正しいし、同時に正しくない。
世界は自分というフィルターを通した物でしか構築されないのだから、「彼」にとっての世界は確かに経験によって帰結する。
……のだけれど、こんなエゴい世界を声高らかに主張するのもなんか気持ち悪い。
確かに「彼」の世界は存在する。同時に重なり合って他の何十億人という人の世界も存在する。動物とか植物とか入れたら数えられない。そういう世界を拒否しているっつーか。
選民思想的、独善的な状態であって、ひどい場合だと自己の正当化ではなく自己に理解を示さないだけの他者の否定に至るなあと。
一人一人の世界を尊重した上で「私は私の世界を生きていますよ」ってのがいいと思うんだけど、経験に傾倒しすぎるとそれが出来ない。ジャイアン理論だ。なんか織田信長もそういうエゴイズムで敵を作っていた気もする。
もう一度言いますがそもそも人間一人が経験できることの程度なんてたかが知れてるわけで、だから本を読んでみたりして「他人の世界」を垣間見ながら自分の世界を補強していく必要があるんではないかなどと思う。
ちょっとそんなことを考える出来事があったのでぬるりと書いてみました。