心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「書かなきゃ」という圧迫感が抜けて楽になった

ブログってわざわざ「ネタ探し」をしてまで書くほどの事なのかな - 太陽がまぶしかったから
読ませて頂いて、今の自分ともかなりシンクロするところがあるので筆を……というか、スマホの画面をタップしている。


f:id:hiza10ji:20150123082352j:plain

ちょうど一年前くらい前は毎日書いていた(はず)。そんなペースは昨年末ごろから変化した。
「書くのが面白くて仕方がない」という感情が緩やかになくなっていったのもある。それは禅の思想とか勉強してそっちが面白くなってきたのもあるけど、その実本当に「面白かったから書いてたのか?」ということを自問自答するようになる。

「毎日書かないとすぐにやめてしまうだろう」という恐怖や圧力。
自分で生み出してしまったこれらを禅の思想によって吹き飛ばしたブログ。それがいまのこのブログです。

スポンサーリンク


こうしてブログ続けてると仏教思想、特に禅の思想とはつくづく相性が悪いものだなあと思っていて、仏教では基本的に感情の揺らぎを小さく小さくしていくのだけれど、普通ブログってのはそうやって小さくしていくべき感情の揺らぎの瞬間を捉え、それを言葉や写真や絵や、そういう制限されたエリアの中で可能な限り最大化して発露することが基本的なやり方のように思う。
「あのラーメンが美味かった!」
「〜に行ってきて感動した!」
それらをどうやって自分が感じた昂りを出来るだけ濁さずに読者に伝えることができるか。それに苦心するものだと。

だからだろうか、自分が書いているラーメン記事や旅先記事というものはどこか淡々とした印象を与える。書いている自分自身にそうなんだから読んでいる人にはさらに感じるのだろう。



まあそんなわけでブログを書く意欲が減退した……と書くと少し語弊があり、質的変換が起きたというのが自分の中では正しいのだが、別段書く量が減ったからといってもっと多くの人に読んでもらいたいだとかもう少し生活の補助になる程度の収入が生まれるブログにしたいだとか、そういう気持ちがなくなったわけでもなく。
ただ本当に素直に「あ、書こうか」と思ったことだけ書くようになっただけで、おかげさまで今100本近くある下書きたちは少しずつ減少しはじめている。


……とはいえ「書きたい時だけ書く」中で「人気のあるブログにしていく」その辺のバランスが絶望的に難しいのだが。