陽は傾き始めたものの未だ高く、世界を赤に染めていた。
私は動きやすいジャージにスニーカー、上はというと黒い無地のTシャツという服装に着替え、荷物は何も持たずに部屋を出た。
ちょうどわたしの泊まっている宿は、ゆるいカーブと少しきつい傾斜の坂道が印象的な道の中腹にある。
そう。何の気なしに走ってみようと思い立ち、出てきたのだ。
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日中は暑い季節だったが、夕暮れとなると眩しさはあれど気温は落ち着き爽やかな風が通り、実に心地良かった。少し山間にある温泉街であることも思い起こされ、この坂道に沿って風が吹いているかもしれない、などということを考えた。
走り始めた。まずは下へだ。
太陽の見える方角だった。それは眩しかったが、久しぶりの休暇を、こうした贅沢な時間の使い方で過ごせている事実のほうがよほど眩しかった。
オフシーズンであること、そしてまだチェックインにはいささか早い時間であったのだろう、そういったことがあわさって、人はまるでいない。
寂れている、というのは間違った表現であろう。休憩所のような佇まいの茶屋では二人組の女性がくつろいでいる。
その程度しかいなかったとも言えるが、そんなこの風景には風情があるという言葉がしっくり来るように思えた。
坂の終わり、信号のある十字路に着いた。
振り返り、息を少し整えると、いま降りてきた坂道を駆け上がり始める。
気持ちがいささか高ぶっているのか、自然とペースは速くなっていた。
今度は太陽が背に当たるようになる。
少しずつ右へカーヴしていく坂道を、先ほどの茶屋を抜け、わたしの泊まっている宿を越え、そのまま走っていく。
本当に気持ちが良かった。
それまでかくことを忘れていた、そんな汗が流れる。
急になっていく坂道が、疲労感を快感に変換する道具のように思えた。
この坂道の先には地元の人々が通う共同浴場があるという。
そこで汗を流し、火照った身体を夕涼みしながら歩いて帰るのも悪くないと考えた。
浴場の前まで着いた。
タオルなど持っていないことに気がついた。なにしろ荷物などなにも持ってきていない。全ては部屋にある。
せっかくの休みだ。
一度戻ってタオルを持ってこようか、そう考えた。
しかし部屋はオートロックであることに気がついた。
荷物などなにも持っていないのだ。なにも。財布も鍵も部屋の中だ。
わたしは部屋に入れなくなっていたのだ。
陽はまだ高い。
*いまさっきまでお昼寝中に見た夢を短編作品にしてみますた。
温泉行きたい。焼肉食べたい。