読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

人間って全然偉くないどころか生き物としては超低いランクだと思って人間やってます

f:id:hiza10ji:20140831022847j:plain
*写真は記事とはまるで関係のない、冷やし坦々うどんの写真をどうぞー


さて、先日すれ違った人が突然

「人間様だぞ俺はァ!」

って言葉を発しまして正直ビビったわけなんですけれども、まあ夜ですし多分酔っ払ってたんだろうなあってことでとりあえず落ち着きを取り戻した時にわたしが何を考えたかっつーと

人間って偉いんだろうか

だったわけですよ。
「人間様だぞ俺はァ!」
という言葉には当然ながら、人間という種族が何かに対して上位っていう意味が含まれているわけでして、わたしみたいに人間やってますけど基本的に人間なんてカスみたいな生物だと思ってる側からすると「なにが人間様ですか」ってな具合なわけです。
今回のブログ改行少ねーな。

スポンサードリンク


繰り返しになりますけど、わたしは人間という種族は地球上に生きる生命体の中では底辺なんじゃないかと思いながら人間やってるわけなんですが、それはなぜかっつーと「生きること」に対して純粋じゃないってところかなーと考えております。

ほら、サバンナとかに生きる動物たちというのは「生きる」ということが全てみたいな生き様をしているわけですよ。
食わなきゃ死ぬ、だからライオンは草食動物を襲う。
食われたら死ぬ、だからシマウマは必死になってライオンから逃げる。

素晴らしいと思うんですね、これ。最近仏教なんか学び始めたからか特にね。
思考の入る余地がないというか。
動物は基本的に「生きる」「子孫を残す」みたいな極めて突き詰めた地点のシンプルな行動原理に沿って生きてしかるべきなのに、人間ときたらなまじ頭が良くなったおかげでいろいろ道具を作って「我らは生命体の頂点だ」みたいな勘違いをした挙句、
「生きること」の難しさをうやむやにしてなんか違うことに向け始めるわけですよ。

「我ら人間は生きること自体は当たり前」という地平に至り、文明とか芸術とか発展してきたのだとは思うものの、反面他の動物はまずやらないだろうっていう組織だった者同士の大規模な同族殺し(これを戦争と言います)みたいなおかしな行動も始めるわけであります。
そういう目で見ると動物園とか空恐ろしいもんねえ。人間が動物より上に立っているって勘違いの具現化したフィールドと言えそうです。


昔々ブッダは悟ったわけですけれども、もうはっきり前提として「生きることは苦しい」って言ったんですよ。
じゃあなんで生きなきゃいけないんだろう、とかわたしは考えちゃうんですけどそれはひとまず置いといて、わたしは人間以外の動物は「生きることは苦しい」とは考えてないんじゃないかなーと思います。というか考える以前の状態で生きている。「生きるために生きる」。


なんというか動物たちは生まれた時から既に悟りの状態で生を受けてるんじゃねーのかな、とか思うわけです。
人間が生きることに苦しみを感じるのは、それはそれはものすごい数の雑念が物事を複雑にしているからで、「もっと金が欲しい」とかそういう単純な欲望から「なぜ生きなきゃいけないんだろう」っていう哲学的なところまで、「生きる」という行為に対しては全部雑念なんだろうなーと。
動物的ははじめっから雑念なんてないんだから、そういう意味では人間という種族は1ランク下と考えられそうです。


何が言いたいかというと、人間は高い知能を元に文明とか文化とか社会とか芸術とかすごい頑張って発展したんですけど、「生きる」ってことに対する純度は発展と共にズンズン退化していったんじゃないかなーって思うんですよ。
そのカウンターパート的に生まれて来たのが宗教とか哲学なんだけど、そもそも「生きるということに対する純度」はグングン鈍っていく人類史の中において宗教や哲学が明確なアンサーとなり得ることはできないのが当たり前っちゃー当たり前なわけで、その結果いまもなお宗教や哲学には答えがないんだろうなーなんて。とりあえず文明社会の発展速度(=人間の動物的感性の鈍化)に対して宗教や哲学の進歩の速度が全然追いついてないんだと思います。


最近ずっと坐禅や瞑想について学んだり、今は「無我」という概念について読んでますけど

こういうのを読めば読むほど、なんというか仏教ってのは「いかにして生命としての感覚を取り戻すのかの論理的アプローチ」なんだろうなあって思うわけですね。


他の動物には出来ていることが、人間にだけはできない。それをできるようにするための理論や修行が仏教には整っている。

それをどう捉えるかは個人個人によるのでしょうけど、少なくともわたしには紛れもない「退化」の結果に見えます。