心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

エッセイ始めたくなったのでエッセイする。「散歩・禅・旅」

数日前から急激にエッセイ的なものが書きたくなっていた。
書きたくなっただけで終わらずにこうして簡単に書けるのだから、そういう意味では非常に良い時代に生まれたように思う。


エッセイ」が何を書くべきものか、というものをGoogleさんで少しばかり調べてみた結果、「作者の読書や体験から得た感想、思索思考をまとめた散文」だそうだ。日本語訳は「随筆」。日本でのエッセイは、海外の少し論文的なモノに比べると日記的な砕けたものを指すことが多いらしい。

いいじゃないの、と思った。特に日本式のエッセイ。随筆と言ったほうがより正確だろうか。
ともかく書いてみることにする。エッセイだから文体も久しぶりに「です、ます」を止める。エッセイだからというのも妙だが、この方がエッセイっぽい気がするから。
今日の短い散歩で思ったことを書いてみる。

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用事があったので早めに起きて済ませると、意外に早く終わったので11時前には自由となった。本当ならば夜も自由時間ではなかったのだが、幸運なことに自由となって少々心が軽い。

こうした時にわたしの頭をもたげてくるのは、「とりあえず歩きたい」という気持ちだ。散歩である。
歩いていると、不安を筆頭にした「ネガティヴな感情や思考」が薄まる。そしてどちらかというとポジティヴなアイデアや展望が見えてくる。
仏教には「歩行禅」という歩きながら行う禅があり、わたしとしては「散歩」という行為はそれと同等のことをしている行為なのではないかと思う。

ちなみに今回の散歩、何を得たのかというと今行っている最中の「エッセイを自分のブログのひとつのカテゴリとして書いてしまおう」という発想だった。
他には素直にいろんな人に「散歩」をおすすめしたいという感情。驚くほどに頭の中がクリアーになるので、何か悩みや不安を抱えている人は一度散歩するといい。誰にでも簡単に効果が実感できる「禅」のカタチであるのは間違いないだろう。



普段あまり行かない方向へ行こうと思い、なんとなくGoogleマップを起動し、駅とは反対方向にスクロールする。ほどほどの距離の場所にブックオフがあることが判明。
普通なら車で行くような距離ではあるが、歩くと1時間弱ほどで実に丁度良い散歩距離だ。
途中にラーメン屋もあるので流れはできた。


開店直後の店でラーメンを食べた。餃子と小ライスが付いたランチセット。
腹ごしらえを済ませ、店を出ると悪かった天気が少々上向いているように思った。
歩くには丁度良い程度の気温。半袖のシャツ1枚で十分で、しかし汗はかかないという本当に丁度良い気温だ。

汗をかきながら歩くのは、それはそれで気持ちがいいものではある。

旅・2日目 驚異の熊野古道・馬越峠 - 心の雑草
以前の一人旅で越えた、熊野古道・馬越峠。もはや散歩ではなかったが、この日は気温も非常に高かったので着ていたシャツはまるで水に漬けたのかとでもいうほどに汗を吸っていた。
思うに普段頭ばかり使って生きているから、こうした直接的に身体を使うという行為は普段とは異なる回路を開通させることであって、それが気持ちいいのだと思うのだ。しかもわたしの場合はそれに「慣れ」というものが来ないから、いつまでも旅をしていたいと思うのだろう。

旅は常に五感に新しいものが飛び込んでくる。刺激が新鮮であり続ける。
「変化」を心情にして生きているわたしは、言ってみれば変化そのものでもある旅というものには憧れ以上のなにかを覚える。
それはもはや「必要性」に至っているような気がしている。
だから旅を求める。
「旅」というほどのスケールで行えないいまは、日帰りで寺社仏閣を見て回ったり、今日のように散歩をしているというわけだ。


話が脱線した。とにかく「汗をだらだら流しながら歩くのもいい」けれど、今日はもっとライトな気持ちだったので丁度良かったというわけだ。


目的地であるブックオフは広い道路に面していたので、散歩のコースも自然と交通量の多いルートになった。
自然を楽しむような、車も人も少ない場所を歩く散歩ばかりが散歩ではない。
こうして人間が作ったモノにあふれた場所を行く散歩にも、面白さはある。

車で移動していると見えない道というのはいくらでもあるし、歩く速度だと「人工物の中に生きる自然」なんてものが急に力強く見えてくるものだ。
月並みだがコンクリートの隙間から生える植物なんてのはいい例だし、小さな企業の玄関先に置かれた植木鉢で揺れる花。
なんとなく入った細い路地ではおそらく野良であろう猫とすれ違い、そうしてふと空を見れば更に天気は良くなって雲の隙間から陽光が垣間見える。
散歩の醍醐味のひとつとして、「歩く速度でしか見えないものが見えてくる」ということを挙げたい。


はたして目的のブックオフはというとそれほど大きなものでもなかったので、ちょっとばかり休憩も兼ねて立ち読みをして後にする。
帰りはブックオフ前の横断歩道を渡り、同じ道路の反対側の歩道を。先ほどまで歩いていた道を少しだけ離れてみると、また違った味わいになるものだ。


散歩なんてなにかを得ようと意気込んでするものでもないし、息抜きという位置づけでいい。
しかし散歩が与えてくれるものは、それどころではない財宝になることが多い。
有名な作曲家や哲学者には散歩を日課にしていた人が多いと聞く。
やはりアイデアが生み出されるということとのリンクは感じてしまうものであるし、「禅」としての散歩、小さな「旅」としての散歩、メリットだらけの散歩だ。

死ぬまで「散歩」はやめられそうにない。


散歩の極意 ちくま新書

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