心の雑草

「げ」と申します。心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

仕事のためでもお金のためでもなく自分のために生きたい

せっかくの8月ですし、8月関係ないんですけど少し自分語りみたいな記事も増やしてみようかな、みたいな感じで書いてる「げ」です。自己紹介みたいなところもありますし、少しずつでもわたしのことを知ってもらえたらいいかなという感じで。


前々から書いていますけど、私の理想とする生き方として「ずっと旅をしながら、その旅自体が収入と結び付いて旅を続ける資金になる生活」があって、旅が仕事でありながら同時に人生の目的である状態というのが究極形といえます。

たとえそこまでいかなくても、もっと自分のやりたいことのために時間を割けるような生き方。それは例えば読書だったり、映画鑑賞だったり、もちろんこうしてブログを書いたりする時間でもあります(時間だけでなく、フィジカル、メンタル的な余裕も多少ないと読書やブログ執筆もできないくらいの弱さではありますから)。


やっぱりこういう考え方って受け入れられないというか、大体の人に開口一番「甘い」方面のことを言われるものでして。
はっきり言ってしまうとそれがイライラするわけです。

「やりたいこと」を第一において生きようとすることの何が悪いのかが全く理解出来ないし、わたしなりにカウンターさせてもらいますと「受け入れる」「諦める」といったことは確かに生きていく上での強力なシステムではあるのですが、それはすべて「やりたいこと」を成すために使われるものなんじゃねーのかな?というわけです。

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カイジ「どん底からはいあがる」生き方の話

カイジ「どん底からはいあがる」生き方の話

わたしは漫画「カイジ」シリーズが好きで、つい先日こちらの本を買ったんですけど、その序章のタイトルがズバーン突き刺さったわけですよ。

序章 生きたいように生きるか 死んだように生きるか

死んだように生きるとか、それこそ生きる理由の問題にぶち当たります。
生きたいように生きたいし、生きたいように生きるために生きている。
わたしはそうありたいのです。



再び仏教思想系の本も読み始めていて、やっぱり仏教のキーワードは「受け入れる」なのだなあと実感しているところなんですけど(特に坐禅・瞑想といったことをしていると顕著な気がします)、なんと言いますかただそのまま現実を受け入れてしまうと「わたしのために生きる」とのバランスがおかしくなるような……。

やはり自己啓発系と仏教思想系とでは啓発としてのアプローチが逆なので、自分なりに一つにしていかなければならないな、と考えています。



きっとそれがうまく結合し始めたとき、わたしの人生も動き始めるのだと思うのです。

「前に進む受け入れ」を目指して。

〈予告〉
近いうちに「瞑想」について書いてみるつもりです。
ほんと瞑想って難しいよ!!