心の雑草

「げ」と申します。「旅=人生」というライフスタイルをめざして、心の雑草を抜いては肥料に変えていくブログ。

「真面目にやれ」の論点ズレ度

こんばんは。皆様いかがお過ごしでしょうか、「げ」です。
今回は「真面目」について、短めにさくっと一筆。



Stoic Indigenous Faces / Wha'ppen

仕事でもなんでもそうなんだけど、「もっと真面目にやれよ」とか「一生懸命やれよ」とか、そういう注意のしかたがある。
もちろん間違ってはいない場面もあるのだが、間違った場面でこの言葉を使っていることはないだろうか?


「真面目に取り組んだ」ことと「結果が出た、成功した」こととが因果関係にならない事柄だって、結構存在すると思うんですよね。

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例えばスポーツなんかはいい例かもしれない。部活とかね。
今の日本の部活動っていまだに根性なんかが信仰されている部分が多いのかなあなどと考えていて、変に真面目な奴ほど逆に合わなくて続かないというか。

「真面目に取り組む」以前に「楽しむ」ということが根本の土台に据えられていないと、ただ辛いだけのものになってしまうような体制だと思うんですよね。・・・実際私もそんな感じで、部活とは疎遠になっていったし。


思い切って「テキトーに楽しめ!」という発破をかけたほうが、程よく力が抜けて個人個人の本来のポテンシャルを引き出せる場面というのは、かなり多いと思う。

「真面目にやれ」系の注意は「やらなきゃいけない」という意識を引き出す。
「楽しくやれ」系の注意は「やってみようか」という意識を引き出す。


自発性という力はエネルギーとしては扱いにくいのだが軌道に乗れば本当に強力なものとなりうるわけで、例えば私が誰かから「ブログを書け」と言われて始めていたとしたら、おそらくこんな風に1年も続けられてはいなかっただろうと思う。
自分で始めようと思ったからここまで続いているし、それどころかさらに新しいことを学ぼうとしている。


そもそも真面目にやったほうがいい結果出ない人とかいそうだしね。
そのあたりまで見て注意なりアドバイスできる人間になりたいもんだ。

仕事は楽しむが勝ち!

仕事は楽しむが勝ち!